身体性を持った言葉は、時代を超える可能性がある
アーサー・ビナードさん
詩人のアーサー・ビナードさんは昨年、自身がパーソナリティーを務めるラジオ番組の収録で、谷川さんの自宅を訪ねた。
「自分が90年ぶりにおむつをはいている気分を恥ずかしがることなくさらけ出して、『老い』というものをどこまでも冷徹に見つめていた。『老いとか、衰えるとか、死ぬということも新しい体験で、今しか描けない体験なんだよ』と話していた」
ビナードさんは、谷川さんに「僕らがやっている現代文学って、将来、何が残るんでしょうか」と質問した。すると「何も残りませんよ」との答えが返ってきた。その上で「もしかしたら体と直接つながるような音の表現とかは、『詠み人知らず』みたいに続く可能性があるけどね」とも付け加えたという。
「谷川さんは『すべて体なんだよ。音として体に響くとか、くすぐったくて体が反応するとか、そういう身体性を持った言葉は時代を超える可能性がある』って言う。自分の作品も含めて『そうじゃないものは何も残らないよ』って、すごい笑顔で語っていた」
これから何がしたいか――。そんな問いを投げかけると、思いもよらない答えが飛び出した。
「『言葉の意味をぶっ壊したい』って。言葉に意味が備わっていることで、人々は勘違いしてだまされて、殺し合いにも発展する。だから、言葉に意味が備わっていることはちっともうれしくない、と。作品を読んでくれた相手が、その意味が揺らいで崩壊すると、やったぜって思う、と」
ビナードさんは、谷川さんが「自分は大したことない存在だから表現ができるんだ」と繰り返していたことも忘れられないという。
「自分と、自分の作品をごっちゃにせず、人が書いた作品のように突き放していた。冷徹さとぬくもりを併せ持っている。でも、俯瞰(ふかん)すると温かくてやさしい人なんだよね」
さらに谷川さんは「死ぬときにどんな詩が書けるか。できれば死んだ直後に詩が書きたい」とも話していたという。
「谷川さんが亡くなったことは、僕らにとって悲しく、喪失感があることだけど、きっと本人は今すごく面白がっていると思う。ただ、この世とあの世を超えて作品を発表できないことだけを悔しがっているのかなあ」(伊藤宏樹)
死とは命の根っこ、生まれた時から寄り添う相棒
四元康祐さん
詩人の四元康祐さんは、谷川さんの訃報(ふほう)に触れても「全然悲しくはありません」と話す。「死とは、終末とか断絶ではないと谷川さんから学んだからです」
生前、親しくつきあった谷川さんの訃報を知ってからの数日を、「自選 谷川俊太郎詩集」を読みながら過ごしたという。「肉体としての谷川さんが生きている、生きていないということは重要じゃない。詩を読んできた自分の中に生きているのだと思います」
以前、谷川さんに作品についてインタビューした時、四元さんが「死の暴力性」を口にしたことがあった。すると、谷川さんはむきになって「なんで暴力なんて思うんだよ」と言い返したという。「死とは、命のいちばん根っこ、お母さんの懐に戻っていくようなこと。突然飛び出すナイフの切り口ではなくて、生まれた時から命と寄り添っている相棒のようなものだ」と。
四元さんは、谷川さんの詩のユニークさをこう言う。「美的に優れているだけではなくて、深い倫理性をはらんでいる。詩や文学について以上に、どうやったらよりよく、より深く生きられるかを教えてもらいました」(守真弓)=朝日新聞2024年11月27日掲載