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「恋とか愛とかやさしさなら」書評 問われる あなたならどうする

評者: 吉田伸子 / 朝⽇新聞掲載:2024年11月30日
恋とか愛とかやさしさなら 著者:一穂 ミチ 出版社:小学館 ジャンル:文学・評論

ISBN: 9784093867399
発売⽇: 2024/10/30
サイズ: 13.8×19.4cm/240p

「恋とか愛とかやさしさなら」 [著]一穂ミチ

 「もし、小山内さんが僕の罰を決めていいとしたら、どのくらいを言い渡しますか」
 「死刑か去勢」
 尋ねたのは、神尾啓久(ひらく)で、答えたのは小山内莉子だ。啓久は盗撮の加害者であり、莉子はその被害者だ。
 この莉子の返事、盗撮ぐらいで極端すぎる、と思うだろうか。でも、当事者にしてみれば、〝ぐらい〟で済まされるものではない。盗撮に限らず、性暴力が被害者に及ぼす影響は、時に生命を脅かすことさえある。目に見えない傷ほど、重く、そして深いのだ。
 物語は、この神尾啓久の恋人である関口新夏(にいか)の視点で描かれる表題作と、啓久の視点で描かれる「恋とか愛とかやさしさより」の2編からなる。
 新夏編では、プロポーズの翌朝、通勤電車の中で盗撮を犯した啓久と向き合う新夏が描かれ、啓久編では、盗撮が遠因で転職し、自分が犯した罪と向き合う啓久の日々が描かれている。
 物語の中で、新夏の職業をカメラマンとしたことが効いている。新夏の父も新聞社のカメラマンだったのだが、あることをきっかけに職を辞していた。そこから浮かび上がってくるのは、撮る/撮られるという関係性であり、写真を「撮る」という行為の本質をも炙(あぶ)り出す。啓久にコスプレ用セーラー服の上下を着せ、スカートの中を撮影しようとする新夏。その必死さが切ない。
 啓久編で描かれる、莉子のドラマも読ませる。両親から搾取されていた莉子に救いをもたらすのが、罪と向き合ってきた啓久、というのがいい。
 読みながら、ずっと、問われている、と思った。あなたなら、どうする?と。許すのか、許さないのか。まだ愛せるのか、もう愛せないのか。忘れられるのか。
 本書は〝罪を糾弾する物語〟ではない。罪も罰も、私たちが考え続けなければならないのだ。だから、余計に沁(し)みる。直木賞受賞第一作に相応(ふさわ)しい傑作である。
    ◇
いちほ・みち 2007年作家デビュー。『スモールワールズ』で吉川英治文学新人賞。『ツミデミック』で直木賞。