家にいても「うちに帰りたい」と思う不可解な心境に心当たりはおありだろうか。わたしはよくある。外でそう思うことには妥当性がある。外出の仕事で疲れて、帰りに電車に乗っている時などはうちに帰りたくて仕方がない。でも家で家に帰りたいと思うことはへんだ。家は比較的好きなはずなのに。
自宅で帰宅したくなる時は、横になって携帯をダラダラ眺めている時などだ。あとは、仮眠しなければいけない時刻なのに眠れないとか、明け方にこれから仕事をしなければならない、といった状況で思う。いや君うちにいるじゃないか。
プレッシャーを感じている時、不本意なことをやっている時に、「うちに帰りたい」という願望が頭を過(よ)ぎるのだろうと思う。この「うち」は、一歳から五歳まで住んでいた一軒家のような気もするのだけれども、家には気分屋の父親がいて面倒だったし、近所の年上の女の子もこちらを嫌っていたので、今その環境に帰っても何の喜びもない気がする。その次に住んだ海沿いのマンションの部屋も違うし、いちばん長く住んだ祖父母の家でもないし、今の部屋の前に住んでいた一軒家もなんか違う。
「自宅」と「帰宅」が切り離されているのかもしれない。帰ることそのものに価値があって、固有の場所ではなく、とにかく帰りたい。それで帰った瞬間がいちばん幸せだ。帰って玄関のドアを閉め、手を洗っている時に頭の中にドバーと出るものがある。エンドルフィンならぬ〈帰るドルフィン〉だ。自分はたぶん、この物質の中毒者なのだ。外出先で疲労すると、家に帰ることだけが楽しみになるし、かといって家の中にずっといるだけでも分泌されない。行って帰らなければならない。
「帰る」喜びは、「出て行く」も含めたサイクルの中でしか得られない。気の重い外出もけっこうあるけれども、「帰る権利を得た」ことに思いを馳(は)せながら、一歩踏み出したい。だいたい嫌だけど。=朝日新聞2024年12月11日掲載