高校三年の時、あなたは何歳だったでしょうか? わたしの場合は十七歳です。わたしは一月生まれで、高三の最初の約十か月を十七歳として過ごし、大学の一般入試が始まった一月の半ばを過ぎて十八歳になりました。一月以降は大学の入試があるので、十八歳で高校に通った記憶はほとんどありません。
そういうわけで、わたしはときどき高校三年の人が十二月に十七歳だったと書くようなことをやって、校閲さんから「これでいいですか?」と言われる。十八歳に変更するのもなんだか違和感があって「その人は早生まれです」と言い訳を返し、早生まれの登場人物が増えていく。
心情的にも小説の視点人物は早生まれの人しか書けないと思う。他の登場人物が何月生まれでもいいのだが、起こっていることに解釈を加える役割がある視点人物は早生まれだ。なんと狭い芸風なのか。
幼稚園でのわたしは、意味がわからないぐらい子供だった。本当にあれはなんだったのか。自分が同じクラスの子たちと比べてばかみたいに幼稚で、ずーっと怒られているということについて、長らく誰も説明してくれなかったのだ。なんで他の女の子たちは自分より背が高くて髪をきれいに結っているのに、自分は単純なおかっぱで帰る頃にはぐちゃぐちゃなのか、なんで他の子たちは先生の言われた通りにできるのか、なんでおとなしくしていられるのか、なんで自分はすぐにスモックを汚すのか。ずっと場違いだった。
大人になると、あの学年内の差というものはかなり縮まるし、同じ学年の中でもちょっと若いのはいいものだと思う。それでも、幼稚園に通っていた時のあの心許(こころもと)ない気持ちをすっかり忘れた頃に、「学年と年齢の一般的な釣り合いの齟齬(そご)」の問題がやってきて、わたしはあのわけのわからない感じを思い出す。たぶん一生「高三の十二月は十七歳に決まってるだろう」問題は噴出するだろう。自分と仕事をしてくださる人たちに、先にお伝えしておきます。=朝日新聞2025年6月11日掲載
