
ひとが死ぬとは、どういうことか。3年前に夫を見送ったあと、作家の村田喜代子さんは大きな問いにとらわれた。「美土里倶楽部(みどりくらぶ)」(中央公論新社)は、命の終わりを考えた長編小説。夫を失った女たちが孤独に向き合い、したたかに、そして軽やかに生きていく。
村田さんは2022年秋に、81歳の夫を看取(みと)った。時間がたっても、次の連載のために集めていた資料を読むことができない。「頭が白くなってしまった」。周りにも同じような経験をした仲間が増えている。テーマを変えて夫の死を書こうと決めた。「亡くなるってどんなことなのか、人間がひとり消えるとはどんなことなのか。突き詰めて考え、書いている時間はものすごく充実していた。書いていたから心が持ったのです」
美土里は6歳上の夫を肺炎で失う。コロナ禍で人数の限られた葬儀が慌ただしく終わる。口は横柄だが、弱音を吐かない、帽子のよく似合う夫だった。
夫の忘れ物を取りにいった病院で、美土里は同じように忘れ物を取りに来た女性と出会う。美子(よしこ)は一回り下の60代。夫は無口な時計職人だったという。パソコン教室で出会った80代の辰子もまた、1年前に夫を亡くしていた。亡夫を詠んだ句集を作るのだという。寂しさを寄せ合う「未亡人倶楽部」の誕生だ。
「夫に死なれた妻は海外旅行に飛び回るなんて言われますが、そんなことはない。何年たっても夫を忘れられないと友人から聞きました。元気だけど私もやっぱり泣いている」
美土里たちは、「未亡人」という非礼な言葉に思いを巡らせたり、「地獄草紙」に顔を寄せ夢中でおしゃべりしたり。死の経験は誰にもないのに、絵師は想像力を駆使して恐ろしい世界を作った。「地獄を描くことは絵師にとって生きがいだったでしょう。私も同じ。大事なことだと腕まくりして、生きがいに感じながら書いていたのです」
俳句を趣味とする辰子を描くため、作句にも挑んだ。
万緑の中に亡夫を納めけり
針山の難所に夫(つま)を置いてきた
後者を辰子は「地獄の俳句」と呼ぶ。詠み手によって巧拙も個性も変わる。美土里の句はユーモラスに。
わが夫はカウボーイハットなり醜男(ぶおとこ)なり
今作に限らず、村田作品ではおばあさんが重要な役割を果たしてきた。19年の「飛族」、21年の「姉の島」はたくましい老女が物語をひっぱる。1987年の芥川賞受賞作「鍋の中」もまた、祖母の存在が作品に幻想性を与えていた。
「おばあさんは書きやすいんですよ」と村田さんは明快に答える。「生きていながら時空を超える。おばあさんを出すと小説が突き抜けていく」。4月で80歳を迎えたが「私はまだまだ若造です」。
物語は冒頭、ある家の門扉に敷布団が干してある場面から始まる。門扉に布団とはやや不可思議だが、見たままの風景だそう。幻想性がすうっと忍び込んでくる。
「私は実生活から小説になるものを拾い集めることしかできない。でも虫メガネで見るように、ようく見ていれば日常が小説になります」(中村真理子)=朝日新聞2025年4月23日掲載
