ISBN: 9784105902117
発売⽇: 2026/08/26
サイズ: 18.8×2cm/480p
「はいつくばって」 [著]ミランダ・ジュライ
主人公は著者本人を思わせる成功したアーティストの女性。仕事も家庭も一見順風満帆の彼女は、夫と子を家に残し四十五歳記念のアメリカ横断ドライブ旅行を決行する。が、計画は早々に頓挫、なぜだか自宅からわずか三十分の街に留(とど)まり、レンタカー屋の若い男とあれよというまに恋仲に。しかし本作は不倫小説ではなく、更年期の女性が直面する壮絶な現実についての小説だ。抗(あらが)えない性ホルモン量の急降下に恐れをなした彼女は、せめて自身の求めるものに忠実であろうとするが、その決意はそれまで築き上げた仕事も家庭も、ことごとく危機にさらすことになる。
「わたしの裡(うち)には遍歴する魂がある」と自覚する主人公の、己に正直であるがゆえの斬新すぎる行動に何度も笑わされ、あまりに想定外のラブシーン(複数回あり)に動揺しつつも胸打たれた。心に密(ひそ)かな傷を抱えながらも、ホルモン補充剤、強靱(きょうじん)な想像力、女たちの互助ネットワーク、持てるものはすべて駆使し、彼女ははいつくばりながら、果てしなく不毛で出口なしの中年の危機に立ち向かっていく。それは自らの半生から血を流してもう一度生まれ直すような、ハードでナンセンスで寿(ことほ)ぐべき人生の一過程だ。
中盤、主人公はあるプロジェクトのためにせっせと筋トレに励むが、多くの中年女性にとって、本作を読むこと自体がある種のトレーニングになりえるのではないか。私は読んでいる間ずっと、主人公と一緒に何かをリフトし続けていた。読み終えた後、世界のほうでは何も変わっていないのに、自分がアクセス可能な場所がこれまでにはないアクセス方法を許可されて、ぐんと開けていくような感覚があった。そしてそれは、誰かから貸し与えられた期限付きの錯覚なのではなくて、この小説によって引き出された私自身の無期限の可能性なんだと確信が持てることに、何より勇気が湧いてくる。
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Miranda July 1974年、米国生まれ。作家、アーティスト。短編集『いちばんここに似合う人』、長編『最初の悪い男』。
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岸本佐知子訳