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「上田城と城主たち―上田城って誰の城?―」 440年、多様な主たちと 長野・上田で展覧会 初公開史料も

初公開の「仙石忠政宛仙石秀久書状」=上田市立博物館蔵

 戦国大名・真田氏の居城として、徳川氏の軍勢を2度にわたって退けたことで知られる名城・上田城(長野県上田市)。その歴史と歴代城主について概観する展覧会が、城跡公園内にある上田市立博物館で開かれている。真田氏以外の城主に関連して今回初めて公開されている史料もあり、上田城の主たちの多様な姿がみえてくる。

 真田氏によって築かれた上田城だが、関ケ原合戦後に破却され、それを仙石氏が復興。その後、出石(現在の兵庫県)から松平氏が転封してくるなどした。

 11月10日まで(4、5日休館)開かれている「上田城と城主たち―上田城って誰の城?―」は「真田の城」から始まり、「仙石の城」「松平の城」「みんなの城」の4章構成。約90件の古文書や絵図、武具類などから、上田城の約440年を振り返る。

 新史料や珍しい史料が多く、中でも「仙石忠政宛仙石秀久書状」は今回初公開。歴史マンガ「センゴク」の主人公にもなった戦国武将・仙石秀久(権兵衛)が晩年、武蔵国鴻巣(現在の埼玉県)に滞在した折にしたためたものだが、忠政を「三左衛門尉殿」と呼んでおり、上田城の復興に尽力した忠政の通称が伝聞以外で初めて明らかになった。

 同じく1582年か83年のものと考えられる「仙石権兵衛(秀久)宛羽柴秀吉書状」は本能寺の変直後に、淡路島を支配していた秀久に秀吉が「人質を確実に受け取るよう」指示を与えたもので、秀吉と秀久の関係がよくわかる珍しい史料だ。

「仙石権兵衛(秀久)宛羽柴秀吉書状」=上田市立博物館蔵

 真田氏関連も充実している。上田城を築いた戦国時代きっての謀将・真田昌幸と、その次男で大坂夏の陣などで活躍した真田信繁(幸村)の肖像として家臣の家に伝わった画像(最近では長男の信幸〈信之〉とする説などもある)などが並ぶ。

真田昌幸として伝わる画像

真田信繁として伝わる画像

 関ケ原合戦の前夜、昌幸と信繁が西軍に、信幸が東軍に加わる決断をしたという「犬伏の別れ」の場面を描いた佐藤雪洞の「真田父子犬伏密談図」は、描かれた時代こそ昭和だが、真田氏を扱ったテレビ番組などで紹介される著名な作品だ。

 堀から出土した真田氏や松平氏ゆかりの瓦などもあり、城の変遷と城主の歴史的役割を映し出す。担当した学芸員が地域の史料をよく見、よく学んでいることがうかがえた。中世史が専門の村石正行・長野県立歴史館総合情報課長は「コンパクトだが、専門の研究者が見ても新発見と思われるものがいくつもある」と評価。「第4章で文化財は地域住民に理解されることで後世に伝えられることを訴えたのは素晴らしい」と話している。(編集委員・宮代栄一)=朝日新聞2026年11月4日掲載