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「反ユダヤ主義について」 荒波のなかで変質を重ねた概念 朝日新聞書評から 

評者: 中澤達哉 / 朝⽇新聞掲載:2026年11月07日
反ユダヤ主義について――その歴史と揺らぎ 著者:マーク・マゾワー 出版社:みすず書房 ジャンル:社会学

ISBN: 9784622098669
発売⽇: 2026/08/19
サイズ: 19.4×2.8cm/400p

「反ユダヤ主義について」 [著]マーク・マゾワー

 19世紀後半のドイツで誕生した「反ユダヤ主義」という言葉は、いかにして現代の言論空間を規定する強力な政治的武器へと変貌(へんぼう)したのだろうか。本書は、この概念の形成からナチによるホロコースト、そして、現代のパレスチナ問題に至るまでの意味の変容を冷徹にたどった現代史の試みである。
 本書の概要は明快だ。もともと右派の排他的ナショナリズムや人種主義と結びついて生まれた「反ユダヤ主義」は、戦後、人種差別全般への普遍的な反対を示す言葉として共有された。しかし、第三次中東戦争以降、イスラエルによるパレスチナの軍事占領が常態化し、また、近年ではガザへの猛烈な軍事行動が繰り返されるなかで、その使われ方は一変したという。今日では、イスラエルの国家政策に対する正当な批判やパレスチナへの人道的な抗議行動までもが、右派やイスラエル支持派によって「新しい反ユダヤ主義」として一律に糾弾される事態が生じている。著者は、「被害者/犠牲者」という立場が、今や自らの軍事行動を正当化し批判を退けるための政治的特権へと変質したと分析する。
 本書のこうしたアプローチは、現代歴史学の重要なパラダイムと深く共鳴している。例えば、「共和主義」「民主主義」といった主要概念を、英米圏が規定した一律の分析概念として固定的に扱うことをしない。むしろ、各地域や各時代における特有の生成と変容のプロセスを追い、常に権力や利害によって更新され続ける「争点化された概念」として捉え直す。著者による「反ユダヤ主義」の捉え方もまさにその一環にある。彼はこの言葉を固定化された絶対的な悪の定義としてではなく、歴史の荒波のなかで政治的に要請され、書き換えられ続けてきた動態的な概念として歴史化してみせるのである。
 なによりこの概念の「歴史化」こそ、ガザ問題をめぐる混迷した現代の言説状況を解きほぐすにあたって極めて有効な視座を提供する。現在、大学やメディアで巻き起こるイスラエル批判を「反ユダヤ主義」と同一視する言説は、言葉の本質を空洞化させ、今なお実在する真の人種差別や陰謀論の脅威をかえって不可視化している。本書は、言葉が持つ固有の歴史的文脈を丹念に紐解(ひもと)き、政治的な思想戦の道具に流されない倫理的な知性を求めているのだ。私たちは今、言葉の政治利用に抗(あらが)い、まっとうな対話と批判的検証の足場を取り戻すためにこそ、本書が突き付ける歴史の鏡を必要としているのではなかろうか。
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Mark Mazower 1958年生まれ。米コロンビア大教授。専門はギリシャを中心とするバルカン近代史、20世紀ヨーロッパ史、国際関係史。著書に『国連と帝国』『暗黒の大陸』『バルカン』など。
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山岡由美訳