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迷うことや解決しづらい事態に耐える力 他者への理解を深めるために 紀伊國屋書店員さんおすすめの本

記事:じんぶん堂企画室

「負の力」が支えるもの

 一冊目は、『ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力』(帚木蓬生・著、朝日新聞出版)。選書のシリーズは毎月必ず新刊が各社から刊行されるので、平台の顔ぶれが目まぐるしく入れ替わる。本書は、2017年の刊行以来、時折平台に載せる機会が訪れる、まさに息の長い一冊だ。この春以降また少しずつ手に取られるようになり、秋に再び平台に姿をみせた。

 「ネガティブ・ケイパビリティ」とは、すぐには答えが出ない、どうにも対処しようのない事態に耐える能力のこと。普通、能力といえば問題を処理し解決するといった、なにかを成し遂げることをいうのが一般的であるが、この能力は解決するのではなく、どうにもならない宙ぶらりんな状態に耐えることをいう。

 ヒトの脳には「分かろう」とする生物としての方向があり、わけの分からないものや不思議なものを目の前にすると、不安を覚えるものだという。たしかに、問題が見つかれば早急に解決してしまいたいし、より理解しやすいほうへ流されてしまいがちだ。小説家であり、精神科医でもある著者は、詩人のキーツ、シェイクスピア、そして紫式部における創作行為を支えるものという視点から、また医師としての現場での経験から、この能力を説いていく。さらに長い臨床経験のなかで「共感すること」の重要性に気づき、これを育んでいくものこそが「ネガティブ・ケイパビリティ」であるという。

 すぐに答えが出ない状況に耐え、それでもなお考えることを止めない力は、その先の、より深い理解へと導いてくれるもの。この「負の力」は、他者への理解を深めていくための底力としても、機能する能力でもあるのだ。

未知なるものとの出会うには

 次に紹介するのは、『迷うことについて』(レベッカ・ソルニット・著、東辻賢治郎・訳、左右社)。そのタイトルに惹かれて、手に取ったものだ。作家、歴史家、アクティヴィストと様々な顔をもつレベッカ・ソルニットによるこの本もまた、一見するとネガティブな印象をもつ「迷うこと」について、幅広い知見から思索する。

 予期できないもの、思いがけない事態に対して、人は時に足を止めたり、思考を止めたりする。あれかこれか、という選択の迷いというのもあるし、地理的に自分がどこにいるかわからなくなって道に迷う、という状態もある。本書の原題は「A Field Guide to Getting Lost」。直訳すれば「迷子になるためのフィールドガイド」だ。原題に含まれる「Getting Lost」という言葉から、「迷う」以外にも「失われる」や「消える」といった言葉から連想される事象についても語られる。

 道に迷うことについての記述のなかでは、「野生の自然を手がかりとして読む技術も必要であるが、見知らぬ環境で緊張を解き、いたずらなパニックや苦痛を招かず、迷っている状態に自分を馴染ませるという技術もまた必要である」とし、ここでは既出のキーツによる「ネガティブ・ケイパビリティ」も引き合いに出される。

 「迷う」ことをいわばコンパスとした、この一風変わったガイドブックは、それによってもたらされる、思わぬ出会いや気づきというような豊かさについて、時間と空間を越えて、教えてくれる一冊だ。

他者との向き合い方

 最後に紹介するのは、『人類学とは何か』(ティム・インゴルド・著、奥野克巳・訳、亜紀書房)。この本は先の2冊を手に取るしばらく前に読んでいたもの。それから数ヶ月を経て、本書で語られていることが、自分のなかで少しずつ輪郭を帯びてきたような気がして、再び手に取った。

 「私たちはどのように生きるべきか?」という問いからはじまる本書は、人類学者であるティム・インゴルドが学び、教鞭をとってきた人類学を振り返り、さらにはこれからの人類学についてのビジョンを示す。以前であればこのような問いはなんだか、スケールが大きく感じて気後れしてしまうような類いのものだったけれど、今は日常における選択のひとつをとっても、その背後にはこの問いが常に突き付けられていると思う。

 人間の生とは社会的なものであるとし、他者とのあり方をいかにつくりあげていくか。そのためのあらゆる知恵や経験を研究することが、人類学者の役割だと著者はいう。他者の世界に入っていき、ともに学ぼうとするその姿勢は、先に紹介した2冊で述べられている能力や技術、そしてまなざしに通じるところがある。

 著者が描く「人類学」とは、すべての人にとってそれぞれの居場所がある世界を、あらゆる分野から互いに学び合い、創造していこうとする試みといえる。これはすぐに分かりやすい正解が導き出されるものではないし、じっくりと向き合う胆力も忍耐も必要だ。日常生活における他者とのかかわり方においても示唆に富む本書は、折に触れて読み返したい一冊となった。

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