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生活史・関係論的人間観・利他 人生は他者との交錯の連続である 紀伊國屋書店員さんおすすめの本

記事:じんぶん堂企画室

『東京の生活史』は、一般から公募した聞き手によって集められた、東京出身のひと・東京在住のひと・東京にやってきたひとなど150人の語りをまとめた一冊。/Getty Images
『東京の生活史』は、一般から公募した聞き手によって集められた、東京出身のひと・東京在住のひと・東京にやってきたひとなど150人の語りをまとめた一冊。/Getty Images

 もしも“第二の人生”があるならば、あなたは何をしてみたいだろう。
華のある憧れの世界、外国で異なる文化の生活、堅実な会社勤め……。十人いれば、十通りの答えがあるだろう。それは違う世界で生きる自分を想像する楽しい時間だと思う。

 どれだけ考えたところでその願いは叶わないけれど、 本を読むことで他者の人生を投影させることはできる。育った環境も年代も違う見ず知らずの人の人生史は、とても興味深く面白い。

 そんな関心から手に取った本が「東京の生活史」(岸政彦 編、筑摩書房)だ。本書は、東京に住む人たち150人から語られた人生史を、一冊にまとめるという壮大なプロジェクトから生まれた。その背景には、歴史に残らない“普通の人びと”の人生から社会を見たいという思いがあったそうだ。

 妊娠中に家を飛び出し、銀行で申し込んだローンを語る女性がいる。寺山修司に感化され、勤め先の税務署を一週間で辞めて上京した男性がいる。ここで語られるのは、人生のすべてではなく、ごく一部の断片的な記憶や出来事だ。

 編集者で社会学者の岸政彦は、これらの人生がみなバラバラであると同時に、人はみんな似ているという矛盾するふたつの感覚を同時に感じるという。読むうちに、見ず知らずの人の語りにどこかノスタルジーを感じるのは、人生における何か普遍的な寂しさのようなものがそこにはあるのではないかと思う。

 生活史は、私たちを空想から現実の世界へと押し戻す。150人の顔のなかった人びとは、読み終えた後に一人の人間として自分の中に生きている。自分以外の誰かの人生と、その集合体が形作る東京という都市を、そっと見つめてほしい。

 ちなみに、本書は今年の紀伊國屋じんぶん大賞に輝いた作品でもある。気になった方はぜひこちらの記事もご覧頂きたい。

>「紀伊國屋じんぶん大賞2022 読者と選ぶ人文書ベスト30」ブックフェア

 生きていく上で他者とどう関わりを持つか。そのためのヒントとなりうる実践書を続いてご紹介したい。文化人類学・医療人類学を専門とする磯野真穂の新刊「他者と生きる リスク・病い・死をめぐる人類学」(集英社)。

 医療や科学の進歩によって、病は予防できる時代になった。健康診断を受けて病気の兆候がないか調べるなど、私たちはリスクを避けるようにして生きている。一方で、生き方の指針として近年よく耳にするのが、“自分らしく”あれというものだ。平成28年度版「厚生労働白書」には、“自分らしく”老いること・“自分らしく”活躍すること、など“自分らしく”あることの大切さが17回も登場するそうだ。

 著者は、この前者の概念を“統計学的人間観”、後者の概念を“個人主義的人間観”と呼び、それらが私たちを“生の手ざわり”から遠ざけているのではないか、と警鐘をならす。

 そこで登場するのが、他者とどのような相互行為を行い、どのような生のラインを描いたのかを捉える“関係論的人間観”と呼ばれるものだ。私たちは、日々の暮らしを予測の範疇に入れることで日常を安定させている。けれども、時として自己の理解を超える出来事がある。他者との思いがけない邂逅だ。

 少し話が逸れるが、私はテレビ番組「探偵ナイトスクープ」の「人生の折れ線グラフ」という企画が好きだ。街頭インタビューを行い、人生で嬉しかった出来事ほどグラフを上に伸ばし、失敗や辛かった体験ほど下へ伸ばす。完成した折れ線グラフを見ると、人生の山あり谷ありがそのまま映し出される。グラフが大きく波打つとき、そこには他者の存在がある。私たちは常に誰かと関係を持ちながら生きている。そうしてできたグラフの浮き沈みは、関係論的人間観だけが持つ時間の“厚み”だ。

 出会いの先に、どのようなラインを引いていくのか。他者とどう物語を生成していくのか。そこから思いもよらないものが生まれる瞬間こそ、私たちが生を実感する時ではないだろうか。

 もう一冊、実践書として紹介したいのが「思いがけず利他」(中島岳志、ミシマ社)だ。

 自分の利益はさておき、他者に尽くすことを意味する“利他”への関心がコロナ禍で高まっているそうだ。しかし、何か善い行いをしたときに、「これがいずれ自分に利益をもたらす」というような損得勘定がどこかにあれば、それは利他ではなく“利己”になる。それは“偽善者”や“意識高い系”と揶揄されるように、“うさん臭さ”と切り離せないものだ。合理性を求めるいまの世の中で、純粋な利他とはどのようなものだろう。

 著者は、落語の「文七元結」や「NHKのど自慢」など多様なジャンルを引き合いに出しながら、何気ないシーンに利他のヒントが隠されている事例を紐解いていく。中でも、志村ふくみの染色や土井善晴の料理論などに見る、“やってくる”という感覚が興味深い。達人たちが共通して大切にしているのは、“私が”という主格ではなく、“私に”という与格的なもの。自分の力を過信するのではなく、自らが“器”のような存在になって自然に身をまかせることに、利他の世界への第一歩があるという。

 利他的であろうとして、何か特別なことをする必要はない。利他の主体はあくまでも、受け手の側にある。そしてそれは、予想していなかった現象など、自分の意思を超えたところにその本質が隠れていそうだ。

 今回は、「他者」をテーマに3冊をご紹介した。ここには書ききれなかったが、これら3冊には共通して“偶然”というキーワードがとても重要な概念として登場する。あっと驚く出来事が偶然であれば、私という存在すらもまた、偶発的なものである。人生は他者との交錯の連続だ。それを頭の片隅に置きながら、今日という一日を楽しんでいきたい。

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