「テロと戦争」の時代、フランス革命は終わらない[前篇]
記事:白水社
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1789年から1799年までの革命の10年間を中心に、時系列に沿って全17章にわたり叙述する本書〔ピーター・マクフィー『フランス革命史 自由か死か』〕は、目次を一瞥する限りでは、全体を支える特徴的な視点やアプローチまでは読者に伝わりづらいかもしれない。だが序章を紐解いてみれば、本書がこれまでのフランス革命の通史にありがちな叙述とは異なる視点に立とうとするものであり、そうした視点から描き出される歴史が、複雑で多面的な人間の緊張を孕んだ世界に迫ろうとするものであることに気づかれるだろう。
そもそも本書に描かれるフランス革命史とは、いったい誰の物語なのだろうか。もちろん本書にもラファイエットやダントン、マラー、ロベスピエールといった著名な革命家たちが数多く登場し、それぞれの個性的な言動が具体的なエピソードを交えながら伝えられている。とはいえ本書が光をあてようとする真の主人公といえるのは、おそらく彼らではないだろう。前作(『ロベスピエール』)では恐怖政治の代名詞ともされがちなロベスピエールという1人の生身の人間を通して革命が描かれたのとは対照的に、本書ではむしろフランスの、パリではなく地方都市や農村に暮らし、それぞれの身を置く場所で革命に遭遇した名もなき普通の人々こそが主人公である。幼い子供から大人まで、彼ら彼女ら1人ひとりの生きた経験を通じて革命の物語は紡がれていく。マクフィーによれば、「あらゆる個人は語るべき物語を持っている」(本書480頁)とされる。当然ながら、それらは1つの物語に収斂することはない。ここには複数のフランス革命が描かれるのである。
こうした本書の叙述は、豊富な一次史料によって支えられている。議会の議事録や行政機関の公式記録、名のあるジャーナリストの新聞や文筆家のパンフレットのみならず、個人の日記や書簡、回想録、警察や地方役人の報告書といった実に膨大かつ多様な文書が渉猟される。なかには前線兵士が故郷の家族に宛てた手紙などもあり、それらは時代の垣根を越えて彼らの人間味あふれる声を読者に伝えている。また視覚・聴覚文化も重要な資料として広く参照され、民衆の流行唄や音楽、演劇、図像などを含む革命の民衆文化からは、旧体制を支えてきた諸々の権威に対する社会の認識の変化が読み取られる。こうした側面はフランス革命における「文化革命」として描かれる。
マクフィーは叙述にあたり、敵か味方かといった二項対立や分かりやすい単純な図式を退け、あえて物事の複雑さや多面性、多様性に着目し、時には矛盾や緊張関係を孕んだ社会の姿をありのままに捉えようとする。貴族や聖職者の内部にも分断は存在するし、マルクス主義的な「革命的ブルジョワジー」などは想定されない。何よりも、本書を通じて読者は改めて、革命の舞台となる当時のフランス社会がいかに多様性の宝庫であったかを知ることになるだろう。フランスという国土が抱える多様な自然環境や居住環境からはじまり、各地方の農業実践、商業や交易、産品、言語や文化に至るまで、実に様々である。あるいは政治活動に積極的な女性やユダヤ人、プロテスタント、エスニック・マイノリティの存在も度々フォーカスされる。人々はフランス人となる以前にブルトン人、バスク人、カタルーニャ人でもあり、フランス語よりもそれぞれの地域言語を日常では使用していた。国境付近では、侵攻してくる敵方の話す言葉を理解するものの、同じフランス人同士互いの言葉が通じないことすらあった。また都市と農村の文化的隔たりに加えて、宗教への関与の度合いにおいても地域ごとに顕著な違いが見られた。
こうした多様性はまさに、長い年月をかけて伝統や慣習、種々の特権が重層的に積み上がってできたフランス社会の歴史に由来するものでもあり、そうした社会に人民主権や国民統合、市民の平等といった原理を打ち立てることがいかに困難を極めた企てであったかが強調される。そしてこのような多様な条件を踏まえれば、革命の経験もまた人それぞれ異なるものとなるのは不思議なことではない。革命が未来の可能性を開き、希望をもたらした人々がいる一方で、革命によって一切を失った人々がいたのであり、そうした経験は革命のイメージ、個人や家族、共同体の記憶、さらには政治的イデオロギーという形で長く受け継がれることになる。
ところで、マクフィーが本書で関心を寄せるのは、人々がそれぞれの置かれた環境の中で、運命にただ身を任せ翻弄されたというよりも、むしろ彼らが革命下の諸々の条件の下で自ら選択をおこなうという主体的な態度決定の側面である。
「自分の目で見たものだけ」を日記に書き綴った女性労働者、バスティーユの解体作業で一儲けした「愛国者」、ひたすら聖務に忠実であり続けたカトリックの聖職者、ヴァンデの反乱軍と戦ってその手を多くの血に染めた前線の兵士、出征する志願兵のために募金活動をおこなった少女……。フランス革命はあらゆる層、あらゆる地域の人々を巻き込むものであり、人々は家族の立ち位置や個人的理由からだけでなく、地理的、経済的、宗教的理由からも時々に選択を迫られた。
そこには数えきれない人々の物語があり、それぞれの政治的あるいは宗教的信念を貫こうとしたり、革命がもたらした変化に便乗したり、あるいはただひたすら生き延びることに必死であった。とりわけ1793年以降になると、国内外の危機的状況や社会における敵対感情の増幅などが加わり、まさにそれは生死を賭けた究極の選択となっていった(第10章)。本書の表題でもある「自由か死か( Liberty or Death)」という標語には、革命のこうした側面に向けられた著者の関心が表れている。
とりわけ人々の革命に対する態度を規定した大きな要因の1つが宗教への関与であったように、フランス革命の10年間における大きな転換点として重視されるのが宗教をめぐる問題である。教会財産の国有化をはじめとして修道院の閉鎖、教区の再編など、議会が着々と進める教会改革に対して高まっていた聖職者からの反発は、ついに1790年の聖職者民事基本法に対して噴出した。
新たに人民によって選出された聖職者に求められた国王や憲法への宣誓は、革命を受け入れるか否かの試金石であり、「革命に亀裂が入った決定的瞬間」(第7章)であった。これを機に革命と教会は分断され、革命支持の地域と革命に抗する「強情な」地域にフランス全体は二分された。西部、北東部、中央高地を含む南部で宣誓拒否聖職者の割合がとくに高く、王党派や亡命貴族らの反革命勢力が介入する隙を与えたと言える。
しかも、その影響は地域的分裂ばかりか、個々人の関係にも及び、時には親子の関係を引き裂くことすらあった。こうした現象は、教会の存在が地域住民の共同生活にどれほど深く浸透しており、彼/彼女らの日常にいかに身近なものであったかの裏返しとしても理解できよう。
本書の特徴としてはさらに、個人や家族、ローカルな共同体、地方、国家そしてグローバルな世界という重層的な視座の下でフランス革命を捉える点がある。とりわけ地方都市に着目することにより、革命の推移が国内外の文脈との結びつきの下で辿られる。このあたりは特色あるフランスの地方都市案内のように読むこともできるだろう。
たとえば、リヨンやマルセイユ、ボルドーは連邦主義の拠点となり、パリ中心の政治体制に反旗を翻した。こうした地方都市では派遣議員による大量虐殺がおこなわれたが、テルミドール期になると今度はジャコバン派に対する報復として「白色テロ」の嵐も吹き荒れた。
あるいは、七年戦争での敗北からフランスは大きな痛手を被ったが、植民地交易の拠点となったボルドーやナント、ラ・ロシェルといった都市は18世紀後半に急速な経済発展を遂げた。奴隷貿易とサン=ドマングとの交易によって繁栄したこの大西洋岸の港町ラ・ロシェルは、少数のプロテスタントが経済の実権を握り、革命を熱狂的に歓迎した。
司法の誤審に対する批判で有名なボルドー高等法院長のメルシエ=デュパティは、ラ・ロシェルの裕福な商家出身であり、実は奴隷貿易による富で高等法院の予審判事職を手に入れたのだった。一方、ジロンド派の中にはブリッソのように奴隷制や奴隷貿易に対して反論を唱える者もいたが、彼らはボルドーやリヨンなど交易や商業の主要地方都市を政治的基盤としていたため、大西洋交易に壊滅的打撃を与えかねない奴隷制の廃止には積極的に行動を起こせなかったという矛盾も指摘される。
これまで膨大な蓄積のあるフランス革命史研究は、その時代固有の問題関心を映し出すという点において、それ自体が歴史的関心の対象ともなりうる。20世紀後半には、マルクス主義の階級闘争史観に基づくそれまでの正統派革命史学(ブルジョワ革命論)に対して、いわゆる修正主義の立場からの批判がなされた。
とりわけ70年代以降は、革命の言説やイデオロギー分析を中心としたフランソワ・フュレの革命論が登場し、さらにその関心を引き継いだリン・ハントの研究を嚆矢として、「政治文化」に大きく研究関心は移っていった。以降、革命史研究の関心は政治文化をはじめ、多様な論点への細分化が見られるとともに、革命の起源や恐怖政治などをめぐる従来の論点に対する再検討も促されている。
さらに今世紀に入ってからの研究潮流としては、フランス革命をグローバルな視座において捉えようとするものに注目できる(Suzanne Desan, Lynn Hunt, William Max Nelson ed., The French Revolution in Global Perspective, Cornell University Press, 2013)。大西洋世界に革命を位置づける視点は、すでに前世紀半ばにパーマーとゴドゥショによって提唱されていたが、英語圏の歴史学におけるグローバル・ヒストリーの興隆を背景とする近年の潮流は、大西洋という枠組みを越えて、南アジアやアフリカにまで視野を広げ、さらに奴隷制やカリブ海域植民地との相互作用に注目するなど、ポスト・コロニアル的視点を前提としている。あるいは「民主的革命の時代」よりも「グローバルな帝国的危機」、すなわち列強による帝国的支配をめぐる競争や戦争というコンテクストが重視される。
一方で、フランス本国の革命史学をはじめとする歴史学においてはグローバル・ヒストリーに対する反応は概して遅れていたが、近年ようやく「フランス的例外」を強調する一国史的な態度から距離を置き、グローバルなコンテクストをより意識した革命史の叙述が現れている。そうした新たな動向を牽引する1人、アニー・ジュルダンの著作は本書でも参照されている。
【著者動画:Peter McPhee and Lynn Hunt, "230 years after: what does the French Revolution mean today?"】
本書に話を戻すと、本書もまた革命を植民地交易や奴隷制、諸外国との相互関係というグローバルな世界との結びつきにおいて捉えようとする視点をもちあわせ、一国史の枠組みに閉じられていないのは明らかである。ただしフランス革命のグローバルなコンテクストに関する近年の研究成果を取り入れつつも、本書は単にグローバル・ヒストリーの潮流に棹さすのではなく、マクフィーのこれまでの研究の軸である農村社会への社会経済史的関心ともバランスよく接続されている点に特徴があると言えるだろう。
マクフィーの見方によれば、国内的な観点とグローバルな観点を二者択一的なものとは捉えずに、フランス革命の起源や帰結はグローバルなものであると同時に「国内的インターナル」でもあると理解すべきだとされる(本書483頁)。つまり双方の観点の柔軟な組み合わせこそが、緊張関係や矛盾を抱えるフランス革命の適切な理解には欠かせないという立場であろう。
たとえば、革命の先例として北米、コルシカ、ジュネーヴや連合諸州の例に言及がなされ、革命の影響に関してはポーランド、アイルランド、ラテンアメリカ、インドなどグローバルな規模に及んだことが強調される。また1789年の人権宣言は、植民地に分裂した反応をもたらした一方で、議会ではその植民地での適用をめぐる激しい論争を呼び起こした。とはいえ、革命の急進化などはグローバルな要因のみで説明がつくわけではなく、すでに触れたようにカトリック教会の再編問題という国内の要因が大きな転換をもたらしたとされた。
その上で最終章では、フランス革命は世界の諸々の革命のなかの1つとして相対化されるわけでは決してなく、人民主権、法の前の平等、領主制と奴隷制の廃止、相続の平等などがどこよりも徹底して遂行された点に改めてその意義が見出される。フランス革命によって提起され究明された諸問題は、今なお色褪せることなく、民主社会の根幹を支えるものである。そうした意味において、「フランス革命は決して「終わらない」」(本書487頁)ことが強調される。ここに、『フランス革命を考える』の第1部を「フランス革命は終わった」と題したフランソワ・フュレ、およびそうした見方に与する立場への確かな異議申し立てを読み取ることもできるだろう。
【『フランス革命史 自由か死か』(白水社)所収「訳者あとがき」より】