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ディドロが追い求めた「共感の唯物論」へ——『編集者ディドロ 仲間と歩く『百科全書』の森』

記事:平凡社

『編集者ディドロ』本文扉より転載
『編集者ディドロ』本文扉より転載

鷲見洋一著『編集者ディドロ 仲間と歩く『百科全書』の森』(平凡社刊)
鷲見洋一著『編集者ディドロ 仲間と歩く『百科全書』の森』(平凡社刊)

「これほど語られていながら、これほど知られていない著作はない」

 かつてルイ・デュクロにこう言わしめた『百科全書』は、現在私たちが「百科事典」と呼んでいる大型書籍のパイオニアにあたります。『ウィキペディア』のルーツと言っても過言ではないでしょう。まさしく情報検索ツールの「モデル」と呼ばれるにふさわしい、巨大な書物です。一八世紀半ばに刊行され、世紀のベストセラーとして大きな評判を呼びました。

 この巨大な事典について本格的な研究が始まったのは、それほど昔のことではありません。『百科全書』をまともな学問的調査と分析の対象にしようという動向は、一九四〇年代から始まりました。ちょうど、この私が生まれた頃です。

 私が一九六〇年代後半にフランスに留学して、当時世界のディドロおよび『百科全書』研究をリードしていたジャック・プルースト教授に師事した時は、『百科全書』の編集長であったドニ・ディドロ個人にたいする国際的評価が高まりはじめた時期でもありました。ただ、私はディドロに関する博士論文の準備に追われ、とても師匠が得意にしていた『百科全書』研究どころではないというのが実情でした。そのあいだにもディドロと『百科全書』の研究は車の両輪のように進み、半世紀後の現在、私たちはインターネットで『百科全書』の膨大な項目と図版を無料で閲覧することができ、ディドロの著作もほとんどが本格的な全集で読めるようになりました。私が『百科全書』それ自体を研究したい、研究するべきだという気持ちを抱きはじめたのは、二一世紀に入ってからで、まだやっと二〇年です。プルースト教授は二〇〇五年に亡くなっていますので、晩年の教授から面談や電子メールでいろいろ指導を受けたのが何とも短い時間で、いくら悔やんでも悔やみきれません。

 日本でもディドロおよび『百科全書』の研究は目覚ましい進歩を遂げ、研究者も増えて、国際的にも一目置かれるレヴェルに達しています。ただ、日本の場合、第二次世界大戦が終わって始まった戦後社会のなかで、まっさきにフランス一八世紀を研究紹介した世代はほぼ例外なくマルクス主義者でした。多種多様な傾向や運動が坩堝のように渦巻いている啓蒙時代のなかから、日本人の先達が選び取ったのはもっぱら「思想」と「哲学」です。これは何よりも知識の「概念」部分に重きを置く、「お堅い」学問を生み出しました。法政大学出版局から一九七六年に刊行されはじめた画期的な『ディドロ著作集』の第一期第一巻に選ばれたのが「哲学Ⅰ」でした。こういう選択や方向付けが定まるにつれ、日本のフランス一八世紀研究はいわゆる「思想史研究」と同義になって、多くの読者から敬遠されてきた功罪があります。逆に言いますと、知識のいまひとつの側面、「身体知」は完全になおざりにされました。というか、差別されつづけたのです。たとえば、世紀末に活躍したサドやレティフなど身体知系の作家は、「お堅い」思想史研究者からは敬遠され、馬鹿にされて、まともな研究の対象になったのはそれほど昔のことではありません。どこか「風変わりな」文学青年かエロス好きの独占する、やや偏った、趣味的なテーマに貶められていました。

 この傾向は現在なお健在で、ほとんど八〇年間変わっていません。私はこれからお読みいただく本書で、「概念知」と「身体知」を不可分のものとして捉え直し、たとえば日本人の「思想史」、「概念史」からはほぼ完全に黙殺されているに等しい『百科全書』の図版を重視する立場を打ち出しています。

『百科全書』第1巻「解剖学」図版Ⅰ。アンドレアス・ウェサリウスによる骸骨図譜(『編集者ディドロ』本文より転載)
『百科全書』第1巻「解剖学」図版Ⅰ。アンドレアス・ウェサリウスによる骸骨図譜(『編集者ディドロ』本文より転載)

 また、一般に必ずしもまだよく知られていないのは、思想家ディドロが『百科全書』という一大出版事業に、編集長の立場で、生涯のかなりの時間を費やしつづけた、その実態と意味であります。ディドロはどういう経緯でこの仕事と関わり、のめり込んでいったのか。ディドロにたいして支払われた報酬や給与、年金とはいかほどのものだったのか。事典項目の執筆者たちは、どういう階層に属し、何をしている人びとだったのか。事典刊行に際してディドロたちが遭遇した障害、抵抗、弾圧とはいかなる種類のものだったのか。本書はそうした問いを発する方々のために、なるべく分かりやすい答えないしはヒントを用意してみようというものです。

 とりわけご留意いただきたいのは、皆さんが『百科全書』という一大出版企画について、あるいは編集長のディドロについて、あらかじめ抱いておられるかもしれない先入観や、場合によっては偏見です。そろそろ三世紀近くも前になるフランス社会というのは、今とは何もかも違います。言論の自由、出版の自由などはほとんどありませんでした。では、その不自由さとは、出版検閲を介して圧力をかけてくる国家権力と、あらゆる手段を使ってその圧力を跳ね返そうとするディドロたち編集者や出版業者側との、綱引きのような応酬や小競り合い、すなわち、よくあるような、耳あたりのいい「弾圧」と「抵抗」の「美しい物語」で説明されるかと申しますと、そう単純な図式で片付く問題ではないのです。「権力」にも数種類あり、国王を最高位に頂くフランス国家権力はどちらかというと『百科全書』に好意的でした。国王の名前で発禁処分が出たこともありますが、場合によっては『百科全書』をほかの権力の攻撃から守るためにわざと罰している裏事情もあるのです。では、その「ほかの権力」とはなんでしょうか。いうまでもなく宗教界の組織です。その組織も一枚岩ではなく、いくつもあって、おたがいに反目したり、批判し合ったりしているのです。調べていくと、ことの真相は訳が分からなくなるほど複雑に絡み合い、なかなか一筋縄ではいきません。

 そうした社会や政治の状況や仕組みに関わる判断につづいて、登場する人間、すなわち関係者への距離の取り方や、好悪の感情というのがあります。ディドロを中心に据えた話ですから、筆者の私がディドロを悪く思うわけはなく、また読者の皆さんも本書にお付き合い下さるうちに、徐々にディドロ贔屓になって下さることでしょう。ただ、『百科全書』刊行のために粉骨砕身する哲学者を、一方的に「義の人」、「正義の味方」として捉えてしまうと(これまた「物語」の創作です)、意外なところでディドロの本当の姿を見失ったり、ディドロが関係する、場合によっては敵対する、べつな人間にたいして妙な敵愾心や偏見を抱いてしまう誤りに陥る危険はあるのです。

『百科全書』第1巻口絵(『編集者ディドロ』本文より転載)
『百科全書』第1巻口絵(『編集者ディドロ』本文より転載)

 プロの研究者でもこの誘惑にどこまでも強いという人はあまり多くありません。ディドロも人の子、徹頭徹尾清廉潔白ではありませんでした。王立科学アカデミーの図版を剽窃した件ではどうみても百パーセント白とは言い切れませんし、『百科全書』の書店主を訴えてきた購読者リュノー・ド・ボワジェルマンにたいして、前言を翻すような心ない振る舞いをしていることも確実です。そのボワジェルマンは調べれば調べるほど、近代社会における「著者」の権利を主張した重要な人物なのですが、幸か不幸か裁判でディドロや『百科全書』の協同書籍商を敵に回す原告であったため、従来は研究者たちからどちらかというと悪者扱いされてきたきらいがあります。また、『百科全書』初期の準備段階で、後世、大物として評価が高いディドロやダランベールだけを特別視するあまり、グワ・ド・マルヴなどという光の当たらない最初期編集長を無視してしまうのも考えものでしょう。そう言えば、『百科全書』の天敵とも言えるイエズス会の雑誌『トレヴー評論』に関する浩瀚な研究書が最近出ましたが、三巻本で二〇〇〇頁を超える大著です。読んでいくと、著者が長年付き合ってきた対象にたいする愛情のなせるわざでしょうが、著者本人までがディドロや『百科全書』をどうしても敵として見なしてしまう情緒や傾向が強く感じられます。テレビの連ドラをのんびり観ているときであればそれでいいのですが、学術論文の場合、そうした主情的な姿勢はどこかで書き手の目を曇らせるのではないかと心配になります。

 こういう個々の事例にそくして見ていきますと、たった二七〇年前の出来事について、過不足ない公正な評価を下すという営みがいかに難しいかが痛感されます。翻って現在の私たちの日常生活でも、そうした偏向や誤解は日常茶飯事なのではないでしょうか。

 本書はあえて「ですます調」を採用し、脚注なども一切付けませんでした。ディドロと『百科全書』に関するお堅い学術書ではなく、ディドロ自身が愛した「対話」や「座談」の雰囲気を残す語り口でお付き合いいただきたいと願ったからなのです。長い道程になりますが、どうか宜しくお願いします。

『編集者ディドロ 仲間と歩く『百科全書』の森』目次

第一章 『百科全書』前史
第二章 『百科全書』刊行史
第三章 編集者ディドロの生涯
第四章 商業出版企画としての『百科全書』
第五章 『百科全書』編集作業の現場
第六章 「結社」の仲間さまざま
第七章 協力者の思想と編集長の思想
第八章 図版の世界
第九章 身体知のなかの図版

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