ヘンリー・D・ソローの「市民的不服従」 白岩英樹『講義 アメリカの思想と文学』より[前篇]
記事:白水社
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ウォールデンでの自給自足を始めてちょうど 1年後の 1846年 7月、ソローは税金を支払わなかったことを理由に逮捕、投獄されます。同じ年の 4月に勃発していたメキシコ戦争や奴隷制への抗議として、人頭税の支払いを拒否し続けていたんですね。とはいっても、インフラなど「コモン(common = 共有の場)」の維持に必要な税金はしっかり支払っていますから、まちがっても天の邪鬼なソローが気まぐれにとった行動などではなく、熟慮による判断から発せられた明白な意志表明だということがわかります。
どこからどう考えても賛成しかねる奴隷制に何らの修正・改善を加えず、それどころか侵略戦争さえ推し進める政府。そんな政府に納める税金など、どこにもない。ソローは揺るぎない信条を「納税拒否」という行動で政府に突きつけ、収監されます。彼が投獄されたことを聞いて、エマソンも駆けつけました。そのときの彼らのやりとりは、いまでも有名なエピソードとして残っているくらい、大変に痛快です。
「ヘンリー、どうしてこんなところにいるんだ?(Henry, why are you here?)」と尋ねるエマソン。
ソローはそれには応えず、
「ウォルドーはどうしてここにいないんだ?(Waldo, why are you not here?)」と言い返したといいます。いかにもソローがソローたる所以がよく表れている応答です。
相手が政府ならば、何の選別も抵抗もせずに、要求されたことすべてを唯々諾々と呑み続けるのか。ソローはエマソンに対して、そう問いかけています。エマソンは市民から「コンコードの聖人(the Sage of Concord)」と仰がれていたオピニオン・リーダーでもありましたから、気骨ある弟子ソローは、師の考えを問いただしたかったのでしょう。
自己信頼に基づいた「不服従の人」としてのソローの思想や、非暴力を貫いた市民としての抵抗は、時空を超えて、歴史に名を刻んだ志士たちに受け継がれました。もっとも有名なのがインド独立の父として知られるマハトマ・ガンディー(1869-1948)、そしてアメリカ公民権運動を率いたマーティン・ルーサー・キング牧師(1929-68)、さらには南アフリカでアパルトヘイトの撤廃に尽力したネルソン・マンデラ(1918-2013)。彼らは皆、迫害や差別を受ける側の人間として生まれ、不本意ながらもそれらを甘んじて受け続ける社会に育ちました。が、国家や社会制度より優先されるべきネイチャー(自然/本性)に従い、同様の困難にひとりで敢然と立ち向かったソローの「市民的不服従」に大いにインスパイアされました。ソローが端緒となった「非暴力不服従」。その思想に基づいた三者三様の抵抗運動は、今日でも世界中の気骨ある革命児たちに受け継がれ、彼らを力強く鼓舞し続けています。
その後、獄中のソローはどうなったのかというと……。実は、ソロー自身は収監されてなお意気軒昂だったのですが、期せずして 1日で釈放されてしまいます。というのも、やはり後世のガンディーやキング、マンデラもそうであったように、ソローを愛する人々や彼を尊敬する支援者たちがいたんですよね(『若草物語』の著者ルイザ・メイ・オルコットもそのひとりでした)。彼の叔母さんが、獄中のソローにはなにも言わずに、未払い分の税金を肩代わりしてしまったんです。不承不承の出獄でしたが、牢獄の中ではなく、彼には外の世界で活き活きと活動してほしいと考えていたひとたちの厚意ですから、彼自身も仕方なかった。
この一連の騒動に収まりをつけたのがソローの叔母さんであったことを見てもわかるように、講演「逃亡奴隷法」で理路整然と非難の声を強めたエマソンにしても、「地下鉄道」で生身の逃亡奴隷に手を貸したソローにしても、彼らの背後には十二分に信頼できる後ろ盾がありました。その最たる存在が、両者ともに親族を中心とした身近な女性たちであったことは事実です。それに加え、彼女たちの抵抗活動の本拠が「反奴隷制女性協会(Female Anti-Slavery Society)」であったことを見落としてはなりません。
反奴隷制女性協会は1832年にマサチューセッツのセイラムで創立されたのを皮切りに、多くの黒人女性たちも参画し、各地の支部が次々と組織化されつつありました。1837年にはエマソンやソロー、オルコットが住んでいたコンコードにも設立され、エマソンの妻やソローの叔母、オルコット母娘たちも加入。実際にその活動へ参加していたんです。もちろん、当時はアメリカでも女性参政権さえ認められていない状況です。それでも、社会的に「弱者(the weak)」とされていた女性たちだからこそ、暴力的な扱いを受けていた「より弱い存在(the weaker)」への感覚が鋭敏に働いたといえるでしょう。エマソンにしても、ソローにしても、彼女たちの助言や導き、支援がなくては、確固とした理論を押し通すことも、自らの信念を言動で貫き通すこともままならなかったはずです。
【白岩英樹『講義 アメリカの思想と文学──分断を乗り越える「声」を聴く』(白水社)所収「第4講 ヘンリー・デイヴィッド・ソロー」より】