20年の時を経てマンガとして再生した『会社はこれからどうなるのか』――岩井克人さん原作者インタビュー
記事:平凡社
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――『マンガ 会社はこれからどうなるのか』は、会社で働く父親、起業を考える娘、さらにその母親も巻き込んで、働き方と会社のあり方を考える家族のストーリーとして大胆に再構成されています。原作から派生した、まったく新しい本と言ってよいかもしれません。そして、驚くべきことに、岩井さんご自身もマンガのキャラクターとして登場します。
岩井克人:やはり気恥ずかしいですね。マンガと違って私はこんなに若くもハンサムでもありませんし、ズボンだってもっと太いです(笑)。そもそも、小さい頃に杉浦茂や手塚治虫を読んでいたくらいで、私はあまりマンガに親しんできていません。だから正直に言うと、この企画の話を聞いた時はかなり躊躇したんです。でも、このマンガがきっかけで、私の考えをもっと多くの人に知ってもらうようになるのなら、お頼みしようと思い直しました。
――なぜそのように考えられたのか、もう少し詳しくお教えください。
岩井:まず、私がなぜ会社研究を始めたのかからお話ししましょう。1980年代後半、私はアメリカへ行き、日本経済論の講義を持つことになりました。当時はバブル絶頂期ということもあって、日本経済の成功の秘密を知りたいという学生が多く集まりました。その期待に応えるために、私は、説明する際には日本の文化や歴史の特殊性を理由にするわけにはいかないと考えたんですね。日本の特殊性が当時の驚異的な経済発展を生んだというのなら、文化や歴史の違う彼らには、何の役にも立ちませんから。文化や歴史の差異に還元せず、普遍的な枠組みで説明をしなければならない。
そこで注目したのが、「会社」です。当時の日本企業は株主の発言力が弱かったり、利益率よりも従業員の雇用や組織の拡大を目的にしていたりと、米英などの会社とは異質な存在とされていました。その違いを、先ほど言ったように、日本の特殊性に還元するのではなく、会社という制度が可能にする二つの組織のあり方として理解できることに、気がついたのです。米英が普遍で、日本が特殊というのではなく、どちらも普遍であるというわけです。
――そこで鍵となるのが、「ヒトであり、モノである」という2面性をもつ「法人」の概念ですね。
岩井:はい。ペンシルバニア大学とプリンストン大学で教えていたのですが、プリンストンの図書館で、たまたま、戦前のカビ臭い『法律学辞典』(1938年)を手に取りました。その中で「法人とは自然人にあらずして法律上〈人〉たる取り扱いを受くるものを言ふ」という「法人」の定義に出会ったのです。まさに目からウロコでした。なぜなら、会社とは「法人」化された企業だからです。ということは、会社もヒトとモノの2面性を持っていることを意味するからです。この出会いによって、会社に関する普遍的な理論を構築するための基本的なアイディアが生まれました。
株主を重視する〈モノ〉としての側面を優先するアメリカやイギリスのような会社のあり方と、会社組織や従業員の雇用などを重視した、〈ヒト〉としての側面を優先する日本の会社のあり方といったように、会社という組織のどの側面にアクセントを置くかという違いによって、それぞれの特色を説明できるようになったのです。
――そうした岩井さんの会社に関する理論から生まれたのが、マンガの原作である『会社はこれからどうなるのか』です。「会社は株主のものである」という株主主権論を否定し注目を集めましたが、これには当時の日本が置かれた状況とも関係していましたね?
岩井:「失われた20年」と言われていた日本は、株式市場の活性化による経済回復を図ろうとして、株主主権を強化する制度を導入ました。それからの20年で、日本は、世界から一周遅れの株主資本主義の国になってしまいました。私が20年前に訴えた、日本の会社の特質を活かした経済再生とは、逆になってしまった。『会社はこれからどうなるのか』によって、株主が会社の主権者だという主流派の会社論は理論的な誤りであることを示せば、株主資本主義への流れは止まると期待したのです。だが、学者の常として、ナイーブすぎました。
最近は、米英や欧州でも株主優先の経済に疑問が出てきて、さまざまな修正が行われるようになっています。大規模な気候変動や社会的不平等の拡大といった、資本主義そのものを揺るがしかねない危機を前に、変化が起き始めています。世界の情勢としては、株主の利益のみを求める株主主権論にとらわれるのではなく、資本主義をより柔らかくしようとする方向に動いているように見えます。ところが今の日本は、気がつくと世界でもっとも株主に優しい国になり、「物言う株主」の最大のカモになっているのです。
まだ実効性はあいまいですが、岸田政権の「新しい資本主義」も、当初は四半期開示の見直しなどをうたって、株主重視を改める方向性を出しました。そんな今だからこそ、『会社はこれからどうなるのか』が社会に役立つのではないかと、あらためて期待しているのです。
――時代が追い付いてきている今だからこそ、20年前の本がマンガとして再生する意味もあると感じます。このマンガ化の特徴として、原作刊行以降の岩井先生の研究の進展に合わせて、内容を膨らませた部分もあります。原作でも最後のほうでNPOに触れていただいていますが、NPO法人についてけっこうなページを割いたのは、今回のマンガ化の特徴だと考えています。
岩井: たしかに、NPO法人研究は、原作の『会社はこれからどうなるのか』を書き上げた後に本格的に進めた分野です。
NPOについて多くの人が抱いているイメージは、NPOは寄付をベースにしたボランティア活動であり、文字通り「Non Profit」、つまり「利益(Profit)」を追求しない組織だというものです。しかし、これは誤解です。「Non Profit」というのは、事業から得た利益を理事や寄付者に分配しないというのが本来の意味です。組織そのものとしては、利益を出してもかまわない。大幅な黒字になってもいい。組織が目的とする事業の推進のために使うならば、いくら利益をあげてもかまいません。もちろん、大多数のNPOは赤字ですが。
こう考えると、会社とNPO法人の差が希薄になってきます。NPO法人の場合は、日本では公益的な事業目的が必要です。これに対して、会社の場合は、存続するため、成長するためには、一定の利益を稼がなければなりません。だが、先ほど言ったように、会社という仕組み自体が、利益追求を重視する会社だけでなく、利益以外の目的を追求する会社のあり方も可能にしているのです。じっさい、株式会社の中にも、事業目的をはっきり掲げるところや、株主への配当をしないと宣言するような会社も出てきています。つまり、NPO法人とは、会社の多様な形態のもっとも極端な場合であると考えることすらできるのです。
最近では社会的起業家に代表されるような、社会的課題を解決したいという若い世代が増えています。この動きに呼応するように、一方で、NPOの重要性が増すとともに、他方で会社のあり方も変化し、みずからの存在意義や社会的目的を明示化する会社も増えてきています。すなわち、社会的意識の高い若い世代の人にとって、NPOという組織形態で働くことも営利的な会社で働くことも、同じ土俵の上での選択肢に入ってきたのではないかと思います。もちろん、利潤追求型の会社が向いている事業、業種もあります。
21世紀に入って二つのことが明らかになりました。一つは、資本主義と民主主義とのどちらかを失った社会は悲惨であること。もう一つは、資本主義も民主主義も不安定であることです。民主主義に関する議論は別の機会にしましょう。少なくとも一方の資本主義が生き残っていくために、会社という仕組みは本来的に多様性をもち、さらにNPO法人とも連続していることを知った上で、新たな会社のあり方を模索していかなければならないのです。
文=堀池大介(平凡社編集部)
プロローグ 会社は誰のものか?
第1話 ヒトとしての会社、モノとしての会社
第2話 経営者に求められる倫理
第3話 NPO 法人の可能性
第4話 ポスト産業資本主義
エピローグ
「原作者」から
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