ゼロから資本主義以外のあり方を考えるべき
――ソ連が崩壊して30年以上経ちますが、なぜ今『資本論』なのでしょう?
ソ連が崩壊した後、1990年代以降は資本主義のグローバル化が一気に進みました。社会主義は失敗し、資本主義こそが唯一の道だという考えが非常に強くなりました。だけれども、その後、格差は拡大し、地球環境は著しく劣化した。行き過ぎた資本主義の問題は多くの人が感じています。その限りで、マルクスの『資本論』は資本主義の矛盾を鋭く指摘した本として、再び読み返されるべきなのです。
私は1987年生まれですが、東京大学に入った2005年には、既に小泉政権のもとで構造改革、つまり新自由主義改革が進んでいた時代でした。その後、アメリカの大学に留学しましたが、卒業直前にリーマンショックが起きて、仕事も家も失ってしまうような人が周りにもいました。
世界一の経済大国であるアメリカで貧しい人がたくさんいるのはなぜなのだろうか。あるいは世界2位の日本でも、真面目に働いている人が派遣村のような場所で困窮しているのはどうしてなのか。本当に資本主義社会は私たちを豊かにしてくれているのだろうかと疑問に思ったんです。
――あとがきでは、その後の2010年代を「革命」の時代としていますね。世界各地で資本主義のあり方に抗議したり、独裁政権を打倒しようとしたりする運動がありました。
その後、2011年に、アメリカではウォール街占拠運動で、超富裕層の富の集中に対して批判がなされました。一方、日本では福島の原発事故をきっかけに、反原発運動が盛り上がりました。これは今まで過剰な消費を支えるための電力が、地方に押し付けられていたという格差問題です。より最近だと気候変動問題に対するグレタ・トゥーンベリたちの運動が盛り上がっています。どれも行き過ぎた資本主義に対する批判です。
資本主義が世界全体を覆うことで、民主主義が広がって人々の生活は便利で豊かになるはずではなかったのか。しかし実際には富が一部にますます集中し、気候変動で環境破壊は進み、戦争まで起こってしまった。資本主義の欠陥はあきらかです。でも、そんな今でも、資本主義そのものが問題だという意見はほとんど出ませんよね。現実的な路線で、今の資本主義のままで軌道修正しようという意見が大半なんです。
本当は、資本主義以外のあり方をゼロから考えなければいけません。資本主義のストーリーというのは、経済成長が進み、技術革新も進み、私たちみんなが豊かで便利になるというものです。しかし、そんなストーリーはもはや若い人々にはまったく響いていない。世界のトレンドは、「社会主義」や「脱成長」なんです。もっとオープンに資本主義を批判して、別のより良い社会の姿について語ってもいい。この本では、マルクスの「コミュニズム」を手がかりに、日本で未来の社会をみんなで議論するきっかけを作りたかったんです。
ソ連や中国は「国家資本主義」だった
――『資本論』の画期的だった点とは?
ここまで資本主義の問題点を包括的に論じた本は、過去を見渡しても他にありません。その矛盾がさまざまな形で表れている今だからこそ、読まれるべきだと思っています。さらに、実はマルクスは資本主義を批判しただけの思想家ではなくて、それを乗り越えるポスト資本主義を構想した人なんです。でも、ポスト資本主義について分かりやすく書いている入門書はほとんどありません。そこで、資本主義の矛盾が露呈していくこれからの時代を生きる若い人たちに読んでほしいと思い、新しい入門書を書いたんです。
――150年前にそこまで論じられていたんですね。
現在の資本主義の姿を完全に予見していたわけではもちろんありませんが、150年前の社会も今の社会も、根幹にあるシステムは一緒なんですね。資本主義は、とにかく資本を増やすことが第一目的です。人間の幸福や自然の持続可能性よりも、金儲けのために利潤を求めて、経済成長することを優先する。
そこでは労働者たちが使い捨てにされて、非正規労働者が増える。格差はどんどん広がる。過労死をする人もいる。地球環境はボロボロになってしまう。誰か悪い人物がいてそうなっているのではなくて、資本主義というシステムの本質的な問題なんです。
――本書では、社会主義やコミュニズムといった概念に拒否反応を示す人には、ソ連などの社会主義国家のイメージがあるとし、それに対して丁寧に反論していました。ソ連や中国は社会主義というよりも「国家資本主義」だとしています。
ソ連の失敗があるから社会主義がダメなんだという人は、そうレッテルを貼ることである種、思考停止しているのではないでしょうか。拒否反応を示す人たちに聞きたいのは、いったい何をそんなに恐れているのか? ということです。安心してください、ソ連とマルクスは、切り離して考えることができます。単純に言うと結局、ソ連も中国も経済成長を目指すシステムなんです。その方法がアメリカや日本と違うだけです。企業を主導するのが民間の社長や株主であるか、国家や官僚であるかという違いだけなんです。
ソ連のように、国家が介入して資本主義を管理していくモデルは「国家資本主義」だと私は説明しました。結局、働いている労働者にとって、置かれている状況は何も変わりません。経済成長のために、自分の生活や自由を犠牲にして必死に働き続けているのですから。日本はソ連や中国よりマシな資本主義なだけなんです。それに満足することなく、もっといい社会を私たちは目指すべきではないでしょうか。
ボトムアップ型の共助社会をめざして
――そうした資本主義を打破するキーワードとして、マルクスの「アソシエーション」という概念を紹介していました。
実はマルクスは社会主義やコミュニズムという言葉よりも、アソシエーションという言葉を重視していました。アソシエートとは、人々が連帯して結合していくといった意味です。人々の自発的な相互扶助や連帯を基礎とした民主的社会を、マルクスは目指していました。
先ほどお話ししたように、ソ連などは国家が上から市場を管理していた。つまり、20世紀の社会主義はいわゆるトップダウン型だったわけです。革命を起こして国家権力を奪取して、官僚と党が社会を計画経済にしていくということです。いわゆるマルクス・レーニン主義、スターリン主義ですね。それに対して、マルクス自身はそのような社会を構想しておらず、ボトムアップ型の社会が必要だと考えました。
――具体的にはどういうものでしょう?
資本主義のもとでは人々はアトム化し、バラバラになっていく。たとえば、地方出身で共働きの家庭だとして、周りと近所付き合いもないし、会社では労働組合もない。それでは会社からクビにされたりしても抵抗できない。誰ともつながれない状態では、資本主義という巨大なシステムに翻弄されてしまうんです。
そこで労働組合を作って、会社が無茶な要求をしてきたら共に闘うようにする。これは労働者たちをつなぐアソシエーションです。他にも近所で町内会を作って、さまざまなものをシェアし、子育てなども助け合うのもひとつでしょう。生協やNGOなども同様に、資本主義とは違った論理で助けあっています。
つまり、みんなで一緒に共有できるもの、コモンの領域を増やしていくんですね。それがマルクスが考えていたアソシエーション型の社会でした。ソ連などとは違って、ボトムアップ型です。バラバラだった個人が結びついて、資本主義社会の不安定や不条理に立ち向かう領域を広げていく。それがコミュニズムの運動なんです。
――どのように身近なところから始めたらいいでしょう?
1月に放送されたNHK番組「100分deフェミニズム」で、上野千鶴子さんが「半身」で働くことの重要性を話していました。これまで男性は会社で出世競争などしながら全身で働いていた。それに対して、女性は家庭で子育てや家事などのケア労働を押し付けられていた。そこには差別や格差があります。
しかし、会社のホモソーシャルな世界観に全身でどっぷり浸かっている人々は、その中でしか思考や価値判断ができない。一方、女性は半ば強制的に「半身」であることから、その分資本主義からも距離をとることができている。昨今は女性も「全身」であることが求められている傾向がありますが、むしろ、男性が女性から「半身」になることを学んで、平等な社会を目指すべきではないか。
今は資本主義が私たちの生活のすべてを覆ってしまっている。そこで市場原理からは離れた領域を少しずつ作っていく。趣味の活動かもしれないし、ボランティアや地域活動かもしれません。誰もが容易にアクセスできる場所を作り、そこに「半身」でも参加していくことが大事だと思っています。
【好書好日の記事から】
>『人新世の「資本論」』斎藤幸平さんインタビュー マルクスを新解釈、「脱成長コミュニズム」は世界を救うか