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「金融人類学への誘い」書評 単なる金儲け超える動機を提示

評者: 神林龍 / 朝⽇新聞掲載:2023年01月28日
金融人類学への誘い トレーダーたちの日本と夢の終わり (〈叢書〉人類学の転回) 著者:宮崎 広和 出版社:水声社 ジャンル:金融・通貨

ISBN: 9784801006737
発売⽇: 2022/11/25
サイズ: 20cm/300p

「金融人類学への誘い」 [著]宮崎広和

 データ・サイエンスの興隆に対応し、最近はインタビューや日記を材料に、人々の行動がロジカルに設計されたものにとどまらないことを示そうとする試みが目につく。本書もその一つで、1990年代の日本の証券会社に勤めたトレーダーとの会話や現場での参与観察などをもとに、「アービトラージ(裁定取引)」と「夢」というキーワードを紡ぎだし、単なる金儲(かねもう)けを超えたトレーダーとしての動機を提示した研究書である。著者はノース・ウェスタン大学で人類学の教授職を務める宮崎広和で、2013年出版の原著の日本語訳である。
 まず人類学的手法を、現代の、しかも最先端の技術を駆使する金融界に当てはめるという発想には驚かされた。しかも、日本のバブル崩壊後という、現在の私たちの社会の、ある意味で出発点ともいえる時期を扱う親近感もある。それに加え、青木昌彦、岩井克人、柄谷行人など、当時の日本の知性の独自の蓄積のうえに本書が成立しているところにも注目してほしい。データ・サイエンスが北米の学術雑誌への掲載を競う場となり、彼らの研究業績もすでに忘れ去られつつあるが、個人的には、本書に知の継承の現場を感じられるのは、研究者冥利(みょうり)に尽きる一方で、してやられた感を禁じ得ない。
 本書は、裁定取引と投機との論理的矛盾が現実にはどう同居しているのか、世界的な競争における日本市場の技術的な遅れをどう学習し改善していったのか、といった視角を次々に提示する。そして、これ以上裁定取引が成立しない状態に向かって、トレーダーが行動していくというシナリオで解釈する。
 個々の説明の論理的実証的妥当性や、当時の技術の未熟さの影響など、議論の余地もまだ残されている。しかし、ひとつの新しい分野の知的躍動を感じさせる一冊であることは間違いない。この熱量に素直に誘われてみるのも一興だろう。
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みやざき・ひろかず 1967年生まれ。米ノースウェスタン大教授(人類学)。著書に『希望という方法』。