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奴隷制は終わらない『黒人法典――フランス黒人奴隷制の法的虚無』

記事:明石書店

奴隷制に抵抗した人々に捧げられた展示(ラファエル・バロンティーニ作)の一部。フランス史の偉人を祀るパンテオンで2023年に開催された。(撮影:中村隆之)
奴隷制に抵抗した人々に捧げられた展示(ラファエル・バロンティーニ作)の一部。フランス史の偉人を祀るパンテオンで2023年に開催された。(撮影:中村隆之)

「黒人法典」を掘り起こす

 現代の常識に照らして、特定の人々が奴隷とされるのを当たり前だと思う人はいないでしょう。奴隷制が公然となされている社会があるとすれば、国際的に非難されるにちがいありません。ですが、かつては奴隷制が当たり前とされた時代と社会がありました。なかでもポルトガル、スペイン、イギリス、フランスといった西洋諸国には、「新大陸」発見後、アフリカを舞台に、数世紀にわたって1000万人を優に超える規模の奴隷売買を実施してきた過去があります。しかも人類史上最大規模の人間強制移動史は、過去のものではなく、私たちの生きるこの世界をいまもなお規定しています。

 従来はフランス本土の白人多数派の歴史観が「フランス史」を形成してきました。いまでは「フランス史」の語り方もずいぶんと多様化して植民地支配の過去を記述する通史も刊行されています。

 このような歴史の語り直しの気運のなかで、現在、フランスが奴隷貿易と奴隷制に関与したことのシンボルのようにみなされているのが、本書の主題である「黒人法典」と呼ばれる法文書です。

 本書の原著が刊行された1987年当時、黒人法典は一部の歴史家のあいだで知られる程度のもので、奴隷貿易と奴隷制の歴史のなかの一コマにすぎませんでした。原著のなによりもの貢献は、古文書や古い専門書のなかに埋もれていた黒人法典というテクストを復刻し、だれもが読めるようにしたことにあります。

 著者は、黒人法典の発掘を通じて、奴隷貿易と奴隷制をめぐる問題群を発見し、これらをフランスの思想史のなかに導入しました。なぜフランスはアンティル諸島の黒人奴隷を黒人奴隷として正当化する法律を制定したのか。なぜ1685年に制定された黒人法典は、人権や平等をうたう啓蒙主義の時代を平然と生き延びて160年以上も続いてきたのか。こうした問いに答えるためには、たんに黒人法典を復刻するだけでは十分ではなく、黒人法典が成立する以前にまでさかのぼり、フランスで黒人がどのように当時の言説のなかで表象され、論じられてきたのかをたどる必要があったのです。

黒人法典(1743年刊)フランス国立移民史博物館の常設展示物(撮影:中村隆之)
黒人法典(1743年刊)フランス国立移民史博物館の常設展示物(撮影:中村隆之)

奴隷制の記憶をまもるために

 フランスには奴隷貿易と奴隷制を「人道に対する罪」と定める法律が存在します。この法律は、その起草者である南米ギアナ出身の女性議員クリスティアーヌ・トビラの名前にちなんで「トビラ法」という通称で呼ばれています。トビラ法の施行をだれよりも喜んだのは、奴隷とされた人々の子孫であるところのフランス海外県出身者です。奴隷貿易と奴隷制の記憶の認知を求め、人種差別をはじめとする不平等や不利益とたたかう活動家や市民団体が各地で活動を続けるなか、自分たちと共闘する知識人として迎え入れられたのが、本書の著者サラ=モランスでした。

フランス国立移民史博物館の前身であるポルト・ドレ宮(1931年)のために制作された壁画の一部(撮影:中村隆之)
フランス国立移民史博物館の前身であるポルト・ドレ宮(1931年)のために制作された壁画の一部(撮影:中村隆之)

 以後サラ=モランスは積極的にこの問題に取り組んでいきます。学者の仕事としてはユネスコの活動にかかわり、ユネスコの奴隷貿易と奴隷制の研究プロジェクト「奴隷のルート」の一環で1998年にリスボンで開催された国際セミナーの記録集『非理性、奴隷、法』(2002年)の共編を務めたのはその一例です。2017年には「黒人団体代表者評議会(CRAN)」の当時の代表ルイ=ジョルジュ・タンと一緒に、黒人法典の主要作者としてのコルベールの名前を冠する通りや教育機関の名称変更、コルベール像を奴隷制反対の人物像に置き換えることを提案するキャンペーンも行っています。

 このように本書は、サラ=モランスの一貫した政治的コミットメントもあいまって、記憶の政治にかかわる市民団体や活動家を中心に広く受け入れられていきました。

ラ・ロシェル新世界博物館 プランテーション内で流通していたコイン。貨幣の代わりとなり、また奴隷が外出する際には一種の身分証としても用いられたとされる(撮影:森元庸介)
ラ・ロシェル新世界博物館 プランテーション内で流通していたコイン。貨幣の代わりとなり、また奴隷が外出する際には一種の身分証としても用いられたとされる(撮影:森元庸介)

マイノリティが紡ぐ歴史観の重要性

 たしかにフランス国内の多数派の価値観という点に焦点を合わせれば、本書の主張はいまでも少数派のそれだと言えます。それでも、「フランス史」は現在進行形で書き換えられています。黒人法典がフランスの移民史や植民地主義史のなかで無視できない意味をもつようになったのは、あきらかに本書の効果なのです。

 わたしたちの予想では、本書の主張はこれからますます注目されるようになるでしょう。というのも、フランス国籍をもった海外県出身者や旧植民地から移り住んできた人々とその子孫の文化的アイデンティティは、フランスによる植民地主義、奴隷貿易、奴隷制の過去をこれまでもこれからも必要とすると予想されるからです。

 さらに本書は、現在のフランスで盛んなポストコロニアル研究や脱植民地研究をはじめとする植民地の権力関係や知の植民地性それ自体を問う動向や、これらと交差する批判的人種主義研究、ジェンダー研究、セクシュアリティ研究、アニマル・スタディーズなど、社会的マイノリティがマイノリティとされてきた既存の社会のあり方をラディカルに問い直す、政治的立場を明確にした学問的潮流のなかに連なるものであり、そうした諸研究への先駆的な貢献だと捉えられるのです。(後略)

【『黒人法典』「訳者解説」より、一部改変のうえ、掲載しています】

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