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なぜ告発文から問題が大きくなったのか ──小林和樹『兵庫県知事問題 失敗の本質』より

記事:筑摩書房

調査報告書が提出されたことを受けた記者の取材に応じ、退席する兵庫県の斎藤元彦知事=2025年3月19日午後5時45分、神戸市中央区
調査報告書が提出されたことを受けた記者の取材に応じ、退席する兵庫県の斎藤元彦知事=2025年3月19日午後5時45分、神戸市中央区

「何を信じたらいいのかわからない」
「何と戦っていたのかわからない」

 選挙のたびに、このような声を聞くことが増えた。
 有権者から、そして落選した候補だけでなく当選した人の中からも同様の発言を聞くことがある。共通しているのは、選挙期間中に、SNSやYouTubeなどで拡散された、膨大な情報の波にさらされた人たちだということだ。

 公職選挙法が改正され、SNSを含むインターネットを利用した選挙運動ができるようになったのは2013年。当初は、候補者や陣営も手探りだったが、徐々に活用が増えていった。その影響を衝撃的に見せられたのは、2024年だ。7月の東京都知事選での石丸旋風、10月の衆議院選挙での国民民主党の躍進、そして失職した知事が再選した11月の兵庫県知事選。候補者や陣営の他にも多くの人たちが加わって、選挙運動の動画や主張を拡散し、大きなうねりを生んだ。新聞やテレビの情報が限られる中で、そうしたネットの情報を投票の手がかりにする人が多かったことも選挙結果に影響した。SNSが情報空間の中に風穴を開けたことで、これまでメディアが取り上げなかった声や活動が、多くの人の目に触れることにつながった。

 一方で、そうしたプラスの影響だけでなく、負の側面がクローズアップされることも増えた。2025年10月に行われた宮城県知事選で、デマや誹謗中傷にさらされた村井嘉浩知事は、新聞社の取材に対し「兵庫県の知事選挙の時になあなあにしてしまった結果、このようなことが起きてしまった」「今回のようなことは、どこでも起こりうる。デマが出回れば、まともな政策議論ができない。もう民主主義の崩壊ですよね、こんなの」と話したという(神戸新聞2025年11月21日)。

 村井知事の言う兵庫県知事選は、そのおよそ1年前に行われた。
 それは、初めて「オールドメディアがSNSに負けた」と言われた選挙だった。投票にあたって、新聞やテレビよりも、ネットでの情報を参考にしたという人が多かったからだ。しかし、それだけではない。選挙期間中、報道は「事実を伝えていない」あるいは「事実を隠している」という批判を受け、多くの人がそれを信じた。それまでも一部の新聞やテレビが、偏向報道などと言われて批判されることはあったが、メディア全体に非難の矛先が向けられ、しかも“事実を伝えていない”として信頼を失ったことが示されたのは初めてだった。大阪、兵庫のメディア関係者の多くが、この事態を「報道の分岐点だった」と振り返る。

 民主主義社会における事実の担い手だと自負してきた報道機関が、なぜ、そのような事態に陥ったのか。
 事態は、知事選の8カ月前に書かれた1通の告発文書から始まった。
 当時、私は、NHK神戸放送局で報道全般の責任者をしていた。混乱が広がる中、次々に目の前で起きていく事象について、何を書くのか、どう書くのかについて、記者やデスクと議論しながら対応した。当時は適切に対応したと思っていたが、離れた所から検証すると、混乱の原因は、根拠のない情報やあいまいな憶測がSNSで飛び交ったことだけではなかったことがわかる。

 そして告発文書が影響を及ぼしたのは情報の世界だけではない。兵庫県では51年ぶりの百条委員会が設置され、斎藤知事は任期途中で失職した。2年が過ぎた今も、支持者とそうでない人たちの分断が続き、収まる気配もない。また、国の制度や法律にも影響が及んだ。知事選で起きた「二馬力選挙」は、公職選挙法についての議論を招き、一部の自治体では立候補時の手続きを変えた。公益通報者の保護をめぐる議論でも兵庫県の問題が取り上げられ、2025年に法律が改正されている。

 1通の告発が、なぜ、これだけの事態を引き起こしたのか。
 その過程をたどると、SNSで広がった様々な言説や、メディアへの批判が生まれた背景も見えてくる。

 そして、事態の一つの終着点であった兵庫県知事選挙は、まさに、SNSが影響力を増して情報空間が変革している時期に行われた。その変革は今も続いている。従来の考え方では対応できない事態に直面した報道関係者たちが、何を考え、何を伝えようとしていたのか、それも記録する。

小林和樹『兵庫県知事問題 失敗の本質──情報不信はなぜ生まれたか』(ちくま新書)
小林和樹『兵庫県知事問題 失敗の本質──情報不信はなぜ生まれたか』(ちくま新書)

『兵庫県知事問題 失敗の本質──情報不信はなぜ生まれたか』目次

第一章 告発文書――知事とメディアの対応
第二章 情報発信に失敗した会見
第三章 反論から公益通報へ――高まる知事への不信
第四章 懲戒処分――くり返された誤ったメッセージ発信
第五章 〝黒幕〟とされた県議と疑惑追及報道
第六章 百条委員会設置へ――〝政局〟はなぜ生まれたか
第七章 初の釈明会見――説明責任は果たされたか
第八章 告発者の死と情報漏洩――書かなかったメディア
第九章 報道することで失われた信頼
第十章 メディアはなぜ誤情報を放置したのか

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