1. HOME
  2. コラム
  3. 2024年の論壇を振り返る 「他者」にどう向き合うか、立場超えた議論の土壌を

2024年の論壇を振り返る 「他者」にどう向き合うか、立場超えた議論の土壌を

米大統領選の期間中、トランプ陣営の集会の会場前で旗を掲げる支持者=11月4日、米ピッツバーグ

 私たちは、ちゃんと選べるのだろうか。そもそも何を基準に選んでいるのか。国内外で重要な選挙が続き、選ぶことの難しさを考えさせられる2024年だった。

 欧州議会選など、欧州では移民や難民の受け入れに否定的な極右政党の伸長が目立った。ただ、古賀光生はそれが世論の排外主義が高まった結果であるという因果関係に慎重な見方をしている(世界10月号)。移民問題など一国での解決が難しく既成政党が争点化しづらい課題では、急進的な政策を主張する政党が支持を集めやすくなると指摘している。現実の問題に対しシンプルな解決策を提示することは難しい。それでも「わかりやすい」選択肢を人は求めるのかもしれない。

 米大統領選は党派的対立が深まっていることを印象づけた。保守とリベラル、大衆とエリートなど、どのように名付けるとしても、「『わたしたち』と『あいつら』」という二つの陣営に分かれて不信と敵意がわだかまりつつあると河野有理は表現する(中央公論12月号)。この指摘を踏まえると、私たちは特定の信条に基づいて投票しているというよりも、その候補者が「わたしたち」の側の人間と感じるかどうかで選択している面がありそうだ。

 国内では衆院選で与党の議席が過半数を割った。御厨貴は朝日新聞のインタビューで、これまでの連立や国対政治の発想が通用せず「日本の政治が創造的に変わるチャンス」と肯定的に捉える(11月12日朝刊)。

 都知事選のひわいなポスターをめぐる騒動など、選挙制度の不備をつき、選ぶことを妨げるような行為も目にした。米ハーバード大のレビツキー、ジブラットによる著書のタイトルは「少数派の横暴」(新潮社)。多数決を前提とした民主主義社会では多数派の横暴が危険視されてきたが、むしろ少数派が制度も駆使しながら政治を混乱させていると指摘する。日本にとっても人ごとではない。

総選挙を経て少数与党となった衆議院=12月12日

 そもそも24年は能登半島地震の衝撃とともに幕を開けた。交通事情を理由にボランティアの来訪の自粛を求める呼びかけに賛否が起きた。宮本匠はボランティアという「他者」の両義性の問題を指摘する(Voice4月号)。地縁・血縁に関係なく助ける他者というポジティブな面を捉えるか、見知らぬ人を危険視するネガティブな面を捉えるかで受け手の反応は異なるという。「他者」にどう向き合うかという問いはボランティアの問題に限らない。

 経済でも大きな変動があった。日本銀行は3月、11年に及んだ異次元の金融緩和策からの転換を決めた。17年ぶりの利上げにより日本は「金利のある世界」に復帰したが、自民党総裁選では「金利を今上げるのはあほやと思う」と発言する政治家もいた。

 陣内了は異次元緩和の失敗を指摘しながら、「経済」に対して「政治」ができることは本来限られていると警鐘を鳴らす(文芸春秋12月号)。アベノミクス以降、政治が経済を「操作」できることが前提となっていないか。政治家たちは、自分ならば適切な政策を選べると過信してはいないだろうか。

    ◇

 論壇誌の動向にも触れなければなるまい。月刊誌「地平」が創刊した。編集長の熊谷伸一郎は創刊号(7月号)で「コトバの復興を追求する」と決意を書いた。さまざまなメディアに言葉はあふれている。しかし熊谷が言うコミュニティーをつくり出すための「コトバ」は失われているのかもしれない。

 保守系の論壇誌「WiLL」「Hanada」で編集者をした梶原麻衣子による「『“右翼”雑誌』の舞台裏」(星海社新書)も興味深い。

「権威」である大手メディアへのカウンターであろうとする自負の一方で、「右の言説だけをいかに大量に読んでも、片翼飛行では全体像から何が欠落しているのかに気付くことはできない」とも吐露する。主張の左右を問わず、立場を選択する前に私たちは十分考えられているだろうか。

 伊藤隆、福田和也、西尾幹二、そして渡辺恒雄。保守系の著名人が相次いで亡くなった年でもあった。

 西尾は今年も新著を相次ぎ刊行していた。「日本と西欧の五○○年史」(筑摩選書)の中では、自由と平等の相関関係に言及している。自由が行き過ぎると格差への懸念から平等に傾き、平等が過ぎると「弱いものの有利さ」が目立つようになり自由を求めるという。西尾は現代では自由も平等も「中途半端の生ぬるい微温的な概念」にとどまっていると指摘する。自由か平等かという選択は、選挙における私たちの投票にも影響しているだろう。

 西尾の追悼特集(正論25年1月号)で、田原総一朗は最後の対談が実現しなかったことを惜しみ、「みんな考え方が違ってもいい。それでも、論議できることが一番大事なんだ」と書く。立場を超えた議論の土壌をどうすれば復興できるか。=敬称略(女屋泰之)=朝日新聞2024年12月25日掲載

私の3点

■宇野重規 東京大学教授(政治思想史・政治哲学)

  1. 中北浩爾・河野有理「自民党の構造と政党政治のゆくえ 政治改革で見落とされた論点とは?」(公研1月号)
  2. 笛美「蓮舫さんに投票したけど石丸さんに投票する人の気持ちもめっちゃ分かる話」(note、7月9日)
  3. 渡辺将人「『大統領候補ハリス』と民主党の分断 民主党大会から見えるアメリカ社会の断層」(外交9・10月号)

 選挙について考える上で参考になった論考。政党とは何か、派閥とどう違うか。どうせ無くせないなら、いかなる党内グループなら「よりまし」かを考えるべきだ=(1)。わずかな時間で政治家を選ぶのは難しい。「わかる」言葉で話す政治家を求めてしまうのも無理はない=(2)。米大統領選、トランプ勝利という以前に、民主党の一人負けだった=(3)。

■中室牧子 慶応大学教授(教育経済学)

  1. 郡山幸雄「パリの市民参加型予算 民主主義の欠点を補うか」(週刊東洋経済8月3日号)
  2. 亀井憲樹「『自制能力』が低水準のとき 人はルールの強化を望む」(週刊東洋経済3月16日号)
  3. 室橋祐貴「若者のより確かな政治参加に向けて」(Voice2025年1月号)

 選挙イヤーとも呼べる年だった。派閥が消滅し、候補者が乱立した自民党総裁選、与党が過半数割れとなった衆院選、SNSが影響力を増し、異例の注目を集めた東京都知事選や兵庫県知事選。(1)は「人」ではなく「予算」を選ぶ仕組みを紹介している。(2)はSNS利用を巡るルールメイキングのありかた、(3)は若者の政治参加を促す方策について参考になる。

■安田峰俊 ルポライター

  1. 斎藤淳子「圧縮型発展の曲がり角で」(世界12月号)
  2. 伊藤亜聖「『現場』なき中国研究への回帰か?」(外交9・10月号)
  3. 辰巳JUNK「テイラー・スウィフトは救世主なのか」(中央公論5月号)

 中国と米国、2大国の「変質」が進んだ1年。もはや一昔前の常識は通用しない。(1)は高度成長を終えた中国で若者に広がる「疲れた」空気感を記し、(2)は現地渡航が困難になった米国の現代中国研究の課題を伝え、(3)は人気歌手を軸に、社会分断が進む米国の実相を描き出す。日本も含め、主要国はみな疲れている。来年はこの霧が晴れることを祈りたい。