推し活、陰謀論…身の回りの出来事を宗教認知科学を通して見る『神を生み出す脳』(評・米光一成さん)――文系のための科学本ガイド⑬
記事:白揚社
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ぼくはゲーム作家だ。『ぷよぷよ』『はぁって言うゲーム』『あいうえバトル』など、コンピュータゲームもアナログゲームも作ってきた。
さらに儀式デザイナーとして「記憶交換ノ儀式」や「儀式フェス」も手がけている。儀式といっても、勝敗のないゲームというか、参加型イベントというか、ワークショップというか、そういったもので、宗教的なものではない。
宗教には興味がない。無信仰、無宗教だ。自分は、超自然的な説明より、科学的で合理的な説明を信頼する人間だ。
科学と宗教は相性が悪い。と思い込んでいた。
そんな思い込みを吹き飛ばしてくれたのが『神を生み出す脳 「宗教認知科学」入門』だ。
本書を読み終わったいまは痛切に反省している。自分もまた、思っていた以上に「宗教していた」。宗教の捉え方がアップデートされ、あらたに考えるための武器を手に入れた実感がある。
本書のスタンスはこうだ。「『神や幽霊は人間の心のはたらきが見せるもので、幻だ』という一部の宗教否定派のような姿勢ではない。むしろ、現代では非合理なものとして片づけられやすいそうした考えの背景に、それらが信じられる理由と、複雑な心のはたらきが関与しているのを示したい」(8ページ)。
この立場に立って、本書はまず「パレイドリア」を解説する。物体に顔などの視覚的パターンを見いだす傾向だ。「∵」の形に配置された点が顔に見えちゃうアレだ。
また、意図を持って行動する者を想定してしまう「行為者検出装置」という認知モジュールも宗教に関係してくる。たとえば、山の中を歩いていてガサガサと音がしたときクマがいるかもと驚く。あるいは夜道で、看板を人だと勘違いして驚く。
「パレイドリア」や「行為者検出装置」によって、人は何者かの気配を感じてしまう。こうした人間に共通した心のはたらきを基盤にして、人は神や霊の存在を想ってしまうのではないか。だから世界各地で自然発生的に神や霊のような存在が生まれているのではないか、と解説する。
つまり宗教認知科学は、キリスト教がこうで、仏教はこうで、というそれぞれの宗教を区切って扱うわけではない。儀礼だったり神的な存在だったり、あらゆる宗教に共通する要素を探求する。
もっと言えば、宗教認知科学が扱うのは、いわゆる宗教だけではない。迷信やおまじない、都市伝説、幽霊、陰謀論、推し活、スピリチュアル、そういったものまでが対象となる。これらをすべて宗教と呼ぶわけではない。宗教か宗教でないかではなく、どれぐらい宗教かという見方ができるようになる。
無宗教ですから、と言っていた自分までが「宗教していた」ことに気づかされる。
考えてみれば、ぼくは「記憶交換ノ儀式」で、決められた手順をみんなで共有し、個人の記憶に特別な意味が立ち上がる場を作っていた。宗教とは無関係なものとして設計したその営みにも、宗教的なメカニズムが含まれていたのだ。
宗教認知科学という新しい視点を導入することで、さまざまなことが考察可能になる。
合理性重視の世界で宗教がなくならないのはどうしてか。
ミッキーマウスはなぜ神にならないのか。
擬人化されたキャラクターはなぜ人気なのか。
推し活はどうして宗教っぽく見えるのか。
なぜ陰謀論にハマるのか。
コストがかかりメリットがなさそうなお祭りが、なぜ行われるのか。
なぜ儀礼や呪術はあんなに段取りが複雑なのか。
「宗教ではなくスピリチュアル」とは、どういうことか。
快刀乱麻とはこのことだ。と言わんばかりに、本書は数々の疑問を、認知科学や進化生物学のキーワードをふんだんに紹介しながら、読み解いていく。
もっとすごいのは、本書から手渡された武器を使って、身の回りの出来事を分析するクセがついたことだ。
本を閉じたあとも、街にあるお守り的なものや、SNSで回ってくる体験談、推しに注がれる熱量を見ては、「これはどれぐらい宗教か」「熱狂するメカニズムはどうなっているのか」といった問いを立ててしまう。ゲームづくり、儀式づくりにも、すでに影響が出始めている。それほどのパンチをくらった。
『神を生み出す脳 「宗教認知科学」入門』推します。