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文理の枠を超え、知性を楽しむ 人気連載「文系のための科学本ガイド」を読む

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『はじめての圏論 ブンゲン先生の現代数学入門』(講談社、評・読書猿さん)

 リレー連載スタートを切った本は、数学者・加藤文元(ふみはる)さんによる『現代数学入門』。それを「インターネットの知の巨人」と称賛されている「読書猿」さんが読み解きます。本の中で着目しているのは、「圏論」という言葉。もともと数学の世界の言葉だったのが、急速にあらゆる分野に浸透しつつあります。

 これまで「モノ」で豊かさを実感してきた私たちの社会。ところが、21世紀になってから「つながり」「ネットワーク」「相互依存」が、富の源泉へと替わり、「つながりの設計」にあらゆる学問が取り組まなくてはならない時代になってきました。それなのに「つながり」そのものを扱うのは不慣れで、そのための道具や考え方が求められています。

「圏論」はまさにそのためのもの。加藤さんは読者にこう訴えます。「世界をモノの集合として見るのではなく、モノとモノのあいだを結ぶ矢印として見る」。ハンバーグ定食や会社の組織図といった例を使って、合成(fの後にgを行う)と恒等(何もしない操作)という二つの基本原理を説明しています。「読書猿」さんは、「これが『圏』の基礎であり、すべての数学的世界がこの枠に包摂されることを、読者は直観的に理解できるようになっている」と評しています。「どの性質を保ち、何を省くか」を明示する。ここに、圏論的発想の核心があるのです。

『はじめての圏論』は、単なる数学の一部門を扱った入門書にとどまらず、「現代文明のメタ理論」を一般読者に開いた書であるとも位置づけられる。著者は圏論を「現代の思考言語」として提示し、世界を「関係の網」として捉え直す訓練を促す。とくに、「最大公約数をとる」という日常的な比喩を用いて「普遍性(universal property)」を説明する部分は秀逸である。普遍性とは、最小の仮定で最大の一般性を得る構成であり、学問・政治・工学すべてに通じる設計思想である。この「翻訳」は、抽象と具体、数学と社会の橋渡しとして極めて優れている。(「文系のための科学本ガイド①」評・読書猿 より)

②  『知性の未来 脳はいかに進化し、AIは何を変えるのか』(新潮社、評・橘玲さん)

 この本の著者はニューヨークのAI企業Albyの共同創業者兼CEO・マックス・ベネットさん。彼は、消費者の購買行動を予測するAIシステムをつくっていく上で、人間の脳に興味を抱くようになりました。そして一流の研究者たちとの交流を通して、書き上げていったのがこの本。読み解くのは「マネーロンダリング3部作」を筆頭に、経済や投資に関する作品で知られる作家・橘玲さんです。橘さんはこの本を「コロンブスのタマゴのような主張をしている」と評します。その主張は「知性の本質は進化の歴史のなかの5つのブレイクスルーで説明できる」。何しろ、次から次へと刺激的な仮説が出てきます。「こんな大胆なことをいえるのは、ベネットがベンチャー企業の創業者で、アカデミズムの部外者だからだ」と橘さん。さてその、「5つのブレイクスルー」とは――。

 第1のブレイクスルーは、「細胞呼吸をする生物がニューロンと筋肉によって移動できるようになったこと」。生き物はいずれも、前部に口、脳、主な感覚器官(目や耳など)を、後部に老廃物の排出口をもつ左右対称のボディプランを進化させてきました。左右対称の身体を「操縦」するには、アクセル(興奮性ニューロン)とブレーキ(抑制性ニューロン)、そしてどの方向に進むのかのセンサーが必要です。わずか302個の神経細胞しかもたない線虫ですら、この3つの機能をもっているのです。

 第2のブレイクスルーは、「ニューロンをまとめて集中回路型にし、より効率的に身体を動かすことができるようになった」こと。良いことにつながる行動を強め、悪いことにつながる行動を罰する。そうして「生存と生殖にとって有利な」選択を学習します。そんな「強化学習」は、より多くの試行錯誤をした個体ほど、よりよい行動ができるようになります。

 第3、第4、第5のブレイクスルーは読んでからのお楽しみ。チンパンジーの脳にはスケール以外のちがいはほとんどありませんが、発話の能力を獲得したことでヒトは共通の神話を形成し、お金、神々、企業(法人)、国家のような架空の概念(共同幻想)を操り、文化・文明を生み出した、と総括しています。

 ベネットは、わたしたちは知性の物語の終わりを生きているのではなく、それはまだ始まったばかりだという。地球上の生命は40億年前に誕生したが、太陽が死を迎えるまでには70億年、宇宙に新しい星が形成されなくなるまで1兆年、銀河系がばらばらになるまでまだ1000兆年もの時間がある。だがこの第6のブレイクスルーの主役は人間ではなく、ニューロンの処理速度や食料から分解できるカロリー、脳サイズの制約などから解放されたシリコンベースの知性、すなわちAIになるのだろう。(「文系のための科学本ガイド②」評・橘玲 より)

『バッタを倒しにアフリカへ』『バッタを倒すぜ アフリカで』(ともに光文社、評・東えりかさん)

「蝗害(こうがい)」という天災を知っていますか。「蝗」はバッタやイナゴ類を表す漢字で、ある種の蝗は大量発生によって作物に大被害を出します。最近では2019年末から2020年にかけて、アフリカ東部、中東、インド、パキスタンなどにサバクトビバッタが広範囲で発生。この「蝗害」で約1800万人分の食料が失われ、深刻な飢餓を引き起こしたといわれます。このサバクトビバッタと戦う昆虫学者・通称「バッタ博士」前野ウルド浩太郎さん。彼の渾身の記録を記した2冊を、書評家の東えりかさんが紹介します。

 2冊とも、その表紙にはバッタに扮した「バッタ博士」ご本人の写真が載っています。東さんは「歴史的な問題を解決するために奮闘しているようには到底見えないふざけた格好なのだが、実はこれには深遠な意味があった」と綴(つづ)ります。

 真摯な研究者ほど狂気を孕む。真面目に問題に取り組み過ぎて、一般常識から外れてしまう。とくに科学者はその傾向が強く「マッド・サイエンティスト」と言われるほど研究に没頭し、世間とはかけ離れた生き方を選ぶものだ。人になんと思われても構わないという気概と気骨、さらに真実を追求する姿は時に清々しくて羨ましくもある。(「文系のための科学本ガイド③」評・東えりか より)

 バッタ博士は2011年、西アフリカのモーリタニアに移り住み、研究所で日夜、バッタの発生を見守り、いざという時は殺虫剤で駆除を行い大きな被害を食い止めてきました。ただ、大量の殺虫剤が使用されると、人や家畜に有害なばかりでなく環境汚染を引き起こす恐れがあります。「ならば、サバクトビバッタの習性を詳しく知り、大発生前に未然に防ぎたい」。成果を出せば昆虫学者としての前途は洋々です。ところが、大望を抱いた博士に、思いもかけない不幸が。なんと契約期間にバッタが発生しなかったのです。契約は切れ、無一文に。果たして研究が続けられるのか――。

 好きなことに邁進し、人の役に立ちたいと努力する姿がこんなにも笑いと感動を呼び起こすのか。
 世界を救うヒーローは実在した。奇人変人と笑わば笑え。彼が救いたいのは地球上の命すべてなのだ。 
(同上)

④  『宇宙の広さを知ったサル 心と文化の進化論』(みすず書房、評・ベンジャミン・クリッツァーさん)

 英国の大学のマレーシア分校で心理学の教鞭を執る、スティーブ・スチュワート=ウィリアムズさんが、人間の心理を理解するための進化理論を一冊にまとめました。このところ、「進化心理学」を取り上げた本が数多く出版されるようになりましたが、進化心理学というと「男性は女性に若さや美しさを求め、女性は男性に資産や地位を求めるのは生物学的な本能だ」「人間は生まれつき暴力的な存在である」などといった扇情的な議論な物言いにつながって、ネガティブなイメージを抱く人がいるかも知れません。

 この本を紹介する哲学者で書評家のベンジャミン・クリッツァーさんは、「進化心理学のおもしろさは、最終的にどんな主張が提示されるかではなく、主張の前提にある『考え方』のほうにある」と説きます。そのうえでこの本を、「進化心理学のロジックを実にわかりやすく解説した本」と評します。

 進化心理学の出発点となっているのは、人間は動物であり、すべての動物がそうであるように自然選択の産物である、という考えだ。そして私たちの身体と同じく、心もまた、自然選択の産物なのだ。 (本書p16から)

 進化心理学の理論では、あらゆる身体的特徴を形づくってきた自然選択の過程を、目に見えない「心」にも適用します。そうした基本的な前提を踏まえつつ、ただ、進化心理学は、その内部に様々な仮説や理論を含む学問であるという点に注意が必要だ、と綴ります。愛情や共感や感動は生存・繁殖を助ける機能を持つのか否か、持つとして具体的にどのようなメカニズムで機能するのか、またそれらの感情はどのように形作られてきたか。複数の説明があり得るのであり、学者によっても意見が分かれてくるのです。ベンジャミン・クリッツァーさんは、こう記します。

『宇宙の広さを知ったサル』の長所は、進化心理学の内部における様々な理論や仮説をバランスよく取り上げて紹介しつつも、比較的多くの学者から同意が得られるであろうオーソドックスな理論を中心に説明していることにある。
 たとえば、自然選択は個体単位だけでなく集団単位でも適用されるとする「群淘汰」や「マルチレベル淘汰」の理論に触れつつも、これらの理論の前提となるロジックに含まれる問題や誤りを指摘して、自分自身が生き延びて子を残すことに関わる「直接適応度」と血縁者による繁殖の成功に関わる「間接適応度」を合算した「包括適応度」を最大化する遺伝子が選択される、とする説に軍配を上げている。 (「文系のための科学本ガイド④」評・ベンジャミン・クリッツァー より)

 包括適応度説は、専門家から広く支持が得られている一方、数学的な視点も必要とされるやや難しい理論です。でも、「理解のしやすさ」や「主張の魅力」は「理論の妥当性とは無関係」とベンジャミンさん。「むしろ、難解な理論の背後にあるロジックを丁寧に追い、その説得力を理解していく過程にこそ、学問の考え方を学ぶおもしろさがある」と訴えます。

『人類と気候の10万年史』(講談社、評・森田真生さん)

 この回の評者・森田真生さんは、数学をテーマに著作・トークライブを行う「独立研究者」として活躍しています。森田さんは「どれほど自由に思考しているつもりでも、私たちの発想や物の見方は、思考を支える地球の環境に制約されてきた」と綴ります。この「制約」を自覚するためには、いまいる場所の「外」へと想像力を広げてみる必要がある。そんな時、立命館大学古気候学研究センター長の中川毅さんの記したこの本を読めば、この「制約の自覚」を実感できる、と森田さんは言います。

 この本では、フォーカスの当てられる物質があります。それは、著者・中川さん自身がその半生をかけて解析してきた、福井県水月湖の湖底から掘り出された「年縞(ねんこう)」と呼ばれる試料(分析サンプル)。年縞は、湖底などに1年に1枚ずつ形成される薄い地層で、いくつもの奇跡的な条件が重なり、若狭湾岸に位置する水月湖には、7万年もの時間をカバーする厚さ45メートルの年縞がきれいに残されていたそうです。

 完新世に先立つ氷期は、いまより気温が低いだけでなく、気温の変動性が高く、気候が極めて不安定な時代だったそうです。この時期に絞って水月湖の年縞を調べると実際、最終氷期末期には数℃にもおよぶ気温の上下が、人間の平均寿命ほどの短い時間幅のなかで複数回起こっていたことがわかったといいます。

 さらに、最終氷期から完新世の温暖期への移行は、「おそらくある1年を境にとつぜん変化した可能性が高い」といいます。暴れるような変動性の高い気候が、「まるでスイッチをパチンと切ったかのように」、安定した温暖な気候へと突如として切り替わったのです。

 完新世以前に遡ってみれば、今年と同じような来年がまた来るとは、とうてい信じられないほど不安定な世界があった。未来が予測できるはずだという楽観的な展望そのものが、完新世の安定した気候のなかで芽生え、育てられてきたものなのだ。 
優れた科学的思考を通してこそ、私たちは見えないものを見るための目を獲得していくことができる。本書が授けてくれるのも、まさにそのような思考だ。無自覚のうちに私たちが浸ってしまっていた、いまある地球という場所の特異性が、過去との対比を通して明瞭に浮かび上がってくる。
(「文系のための科学本ガイド⑤」評・森田真生 より)