中世彩飾写本から発見する、書物を鑑賞する楽しみ――『西洋中世写本を愉しむために 写本・初期印刷本の歴史と鑑賞』
記事:白水社
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写本の彩飾──イニシャル
普段、私たちがイニシャルと聞いてまず思い浮かべるのは、アルファベット表記による名前などの最初の文字、つまり頭文字だろう。普段何気なく使っている言葉だが、西洋中世写本の装飾要素としてのイニシャルは、文章を構成する章や節などの冒頭の大文字(Majuscule, Capital letter)を彩色や装飾により視覚的に際立たせたもの、と定義するのが一般的だ。イニシャルは、章や節などの文章内のセクション(区切り、分節)の冒頭を可視化する機能を担っていたのである。書体の特徴が時代や地域により異なるように、イニシャルも個性豊かな展開をたどった。
4世紀末のウェルギリウス写本の断片に見られる現存最初期のイニシャルは、(セクションの冒頭であるか否かを問わず、たまたま)各ページの冒頭に来た文字を後続の文字より大きく記し、字画に彩色や簡素な装飾を加えたものであった。古代ローマの碑文体を模した大文字のみで記されたテキストには、句読点や単語の分かち書きもなく、イニシャルが本文の区切りを可視化しているわけでもない。
これに対し、5世紀頃から、ギリシア語やラテン語聖書に、大文字のみで記された本文をセクションごとに改行し、セクション(段落)冒頭の文字(イニシャル)を後続の文字より一回り大きく記して左側の余白に突き出した作例が現れる。文章の区切りを視覚的に明示するイニシャルのおかげで、読者は文中の目指す箇所を見つけやすくなった。
抽象的な記号である文字の形状・外観を装飾により大きく変えることには抑制的だったキリスト教写本のイニシャルは、7世紀頃から、さまざまな具象・抽象モチーフを大胆に取り込むようになる。最初の舞台となったのは、ケルト系の写本だ。
抽象的・幾何学的な独特の文様体系を発達させたケルト系写本では、貴金属工芸を思わせるシャープな輪郭の文字の先端や内側に幻想的な鳥獣や組紐・渦巻文様を組み込んだイニシャルが、福音書写本を彩った。中でも目を引くのは、巨大なモノグラムと続く文字列をポスターのようにレイアウトした、冒頭句ページである(図1)。冒頭の単語の最初の2、3文字を組み合わせて構成されたモノグラムは、小部屋のように仕切られた字画の内部に文様や鳥獣の身体パーツが埋め込まれているのに対し、後続の文字列は、鉄骨のように角張った黒い文字や、島嶼地域に特有のインシュラー・ハーフ・アンシャル体による丸みを帯びた黒い文字の内側に、赤・青・黄・緑を塗り込めるなど、さながら装飾文字の見本帳のようである。
ケルト系の組紐文様は、カロリング朝帝国を経てヨーロッパ各地に広まり、ロマネスク期に至るまで、イニシャルの主要な装飾要素のひとつとして受け継がれた。
文字の先端や内部に鳥獣や人物の身体パーツを取り込んだケルト系のイニシャルに対し、メロヴィング─カロリング朝期(8~9世紀)の大陸では、文字を構成する字画そのものを魚や鳥、小動物あるいは人像などで置き換えた、形象イニシャル(figure initial)が発達した。大きく目を見開き、身体パーツをパズルのピースのようにカラフルに塗り分けられた動物たちは、コミカルにさえ感じられる。
形象イニシャルは、抽象的な記号である文字にテキストの内容を可視化するモチーフを結びつける土台としても機能した。1111年頃ブルゴーニュ地方南部のシトー修道院で制作された、聖グレゴリウスの『ヨブ記に関する道徳的註解』は、日々の労働に勤しむ修道士や獣を相手に戦う戦士などの姿で構成された、独創的なイニシャルで知られる。材木の切り出し作業など、一見素朴な労働の情景を描いたようにも見えるが、神がヨブに与えた試練を比喩的に絵画化したものと解釈されている(図2)。
形象イニシャルは、中世末期になると、動植物のスケッチやイニシャルのデザインなどを集めた図案集でも、しばしば取り上げられた。歌い出しを示すイニシャルにユーモラスな情景を取り込んだルネサンス期の歌曲集は、さながら形象イニシャルの見本帳のようである(図3)。
形象イニシャルと並び、8世紀に遡る歴史を持つのが、文字の内側のスペースに物語の一場面や同定可能な人物を描き込む物語イニシャル(historiated initial)である。最初期の作例のひとつ、カロリング朝の「ドロゴの秘蹟書」は、金色の枠で縁取られた字画とアカンサス葉を伴う蔓草で構成されたイニシャル内部のスペースに、キリストの生涯の事蹟などを描く。神殿奉献の祝日(2月2日)の祈禱文の冒頭のイニシャルOは、天蓋の下に置かれた祭壇の上に両腕を伸ばす老祭司シメオンに、聖母が幼児イエスを捧げる情景を描く。場面の上方では、金色のアカンサスの葉が天蓋と登場人物たちを囲むように左右から伸びる。本作は、古代美術に馴染み深いアカンサス葉を装飾イニシャルに本格的に導入した最初期の作例でもある。
物語イニシャルの持つ図像の提示機能は、聖書や典礼書で重用された。Iの輪郭の内側に天地創造やアダムとエバの物語を描くメダイヨンを縦に並べた「創世記」冒頭のイニシャルや、寝台に横たわるエッサイとその腰から伸びる木の幹をLに見立てた「マタイによる福音書」冒頭のイニシャルは、その典型である。
日々の礼拝に欠かせない祈りのテキストであった「詩編」は、全150編をいくつかのまとまりに分け一週間で一巡して誦える方式が定着すると、各まとまりの冒頭の詩編に目印となる物語イニシャルを描くようになった。これらのイニシャルには、詩編102(ウルガタ聖書では101)編の冒頭句「主よ、私の祈りを聞いてください」を、祭壇の前で神に祈るダビデ王の姿により字義通りに絵画化したものや、詩編の字句と直接の関わりなくキリスト伝の主要な場面を順に描いたものなど(図4)、さまざまなタイプが知られる。
駒田亜紀子
(松田隆美 編著/駒田亜紀子、徳永聡子、池田真弓 著『西洋中世写本を愉しむために 写本・初期印刷本の歴史と鑑賞』より)