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ホロコーストはなぜ、どのようにして起きたのか――ローレンス・リース『ホロコースト 新しい歴史』より

記事:白水社

『ホロコースト 新しい歴史(上・下)』(ローレンス・リース 著、川喜田敦子 監修、大下理世 訳、白水社)。「証言のもつ感情的な力」と、ナチ国家の政策形成や権力政治に関する分析の双方を結びつけた、他に類を見ない歴史書。アントニー・ビーヴァー、イアン・カーショー推薦!
『ホロコースト 新しい歴史(上・下)』(ローレンス・リース 著、川喜田敦子 監修、大下理世 訳、白水社)。「証言のもつ感情的な力」と、ナチ国家の政策形成や権力政治に関する分析の双方を結びつけた、他に類を見ない歴史書。アントニー・ビーヴァー、イアン・カーショー推薦!

 「ホロコースト」という言葉は、もともとは「燔はん祭さい」や「生け贄」を意味する言葉であり、ユダヤ人絶滅と結びつけられるようになったのは比較的最近のことである。

 そもそも、この言葉が正確に何を意味するのかについて普遍的な合意はない。ユダヤ人殺害に限定されるのか、それともあらゆる集団虐殺ジエノサイドを指すのか。たとえば、チンギス・ハーンによるペルシア人への仕打ちはホロコーストだったのだろうか。さらに大きな問題がある。ホロコーストをユダヤ人の絶滅だけに限定してしまうと、ナチの殺害思想の広範さを見誤る危険があるということである。というのも、ユダヤ人の殺害と、ナチによる他の大勢の人びと──たとえば、安楽死政策による障害者、意図的な飢餓政策による何百万人ものスラヴ人など──の迫害・殺害とを切り離して考えるべきではないからである。それだけではない。わたしたちが知るホロコーストは、もう一つの大規模な殺害計画が議論されていたのと同時期に実施された。東部総合計画である。この計画は、ナチが敗北したために実行に移されなかっただけで、実行されていればさらに何千万人もの人びとを死に至らしめただろう。

 しかし、このような構想のいずれもが、ナチのユダヤ人絶滅の願望と同列のものだったと言いたいわけではない。というのも、ユダヤ人に対する憎悪は常にナチの思想の中核をなしていたからである。このような背景から、本書では「ホロコースト」という言葉をナチによるユダヤ人迫害が次第に急進化し、その絶滅を目指す政策の実行へと至った過程として用いている。同時に、この犯罪はより広い視野の中に置かれなければ理解できないという立場をとっている。

 ここで、次のような疑問が浮かぶだろう。この言葉に問題があるのならば、なぜ本書のタイトルを『ホロコースト』としたのか。その理由は単に、この犯罪が現在そう呼ばれているためであり、他の呼び方を用いても、読者の理解の助けにはならないと考えたからである。そして、それ以上に重要なのは、ユダヤ人絶滅が人類史上類例のない恐怖の犯罪だったという事実を反映する言葉として、この言葉が適切だと思うからである。

 こうした主張が議論を呼ぶことは承知している。実際、私自身、ホロコーストについてある種の「特異性」を指摘できるか、あるいは、歴史上の数ある残虐行為の中の一つとして考えなければならないかをめぐる多くの活発な議論に参加してきた。しかし、最終的には、数年前、私と語り合う中でホロコーストの特殊性を雄弁に主張した故デーヴィッド・チェザラーニ教授に同意する。「歴史上、一定の期間内にある民族宗教集団を物理的に滅ぼすと決め、そのための装置を考案して作り上げた指導者はいなかった。これは前例のないことだった」というのがチェザラーニ教授の主張だった。(参照:著者運営ウェブサイト WW2 History.com) 

 ホロコーストについて書くにあたって考慮すべきもう一つの重要な問題は、証言の役割である。私はこれまで、この歴史を身をもって体験した数百人もの人びとに会うことができた。彼らの証言に非常に価値があるというのは驚くことではないだろう。実際、人びとに会い、その経験について質問することの利点として、きわめて本質的な点が挙げられる。それは、人びとと話していると、歴史は今なお生きていると感じられるということだ。[中略]

『ホロコースト 新しい歴史(上)』目次
『ホロコースト 新しい歴史(上)』目次

 むろん、ホロコーストの生存者にインタヴューする際には、考慮すべき重要な点があった。最も重要なことの一つは、アウシュヴィッツ、ソビブル、トレブリンカといった収容所の生存者は、そこに送られた人びとの通常の経験を示しているのではないと常に念頭に置いておくことである。というのも、そこでの通常の経験とは、殺されることだったからである。それゆえ、我々は、当然のことながら大多数と同じ運命をたどった人びとに話を聞くことはできない。

 ホロコーストを叙述するにあたっては、この犯罪が行われた地理的条件を把握していなければならないと思われた。この点もまた、本書がこれまでと違った視点を提供できればと願っている点である。実際、ホロコーストが起きた場所を訪れることで得られる洞察から私は大きな恩恵を受けた。たとえば、何年も前、アウシュヴィッツ博物館に勤める有能な歴史家である友人のミレク・オプスタルチクが、アウシュヴィッツ本収容所とビルケナウに点在する、ツィクロンBで大量殺人が行われた場所をひとつひとつ案内してくれたときの経験は忘れられない。私は、ミレクと一緒に、ナチが殺害場所として使用した年代順にこれらの場所を訪れた。本収容所の第11棟の地下室から、親衛隊管理事務所のそばの焼却施設、アウシュヴィッツ・ビルケナウの人里離れた小さな赤い家と小さな白い家の跡地から、1943年にビルケナウに出現した巨大なガス室と焼却炉を備えた複合施設(クレマトリウム)の跡地に至るまで。このように、殺害が場所を移しながらどのように広がっていったかを自分の足でたどることで、ナチが収容所で展開した構想の流れを理解できた。本書からこうしたことが伝わることを願う。

 この歴史に関連するその他の幾百もの場所を訪れることも、同様に貴重な体験だった。たとえば、木々の枝が風に吹かれ、人の気配の感じられないソビブルの死の収容所跡地から、ベルリン郊外のザクセンハウゼン強制収容所の広大な半円形の点呼場、東プロイセンのラステンブルクにあるヒトラーの総統大本営跡、さらにはベラルーシやウクライナの殺戮の現場などである。

 こうした殺害の現場から得られる洞察と、証言者との出会いから得られる洞察を組み合わせることもできる。私の職業人生の中で最も記憶に残る瞬間は、この二つが融合したときである。たとえば、ベラルーシで一人の男性を撮影したことを覚えている。彼は地雷だらけとされる道を他の村人たちとともに歩かされた。ドイツ兵は安全な距離を保ちながら、人間地雷探知機が爆破され、道路の安全が確保されるのを待っていた。幸運なことにこの男性は生きて次の村までたどり着いた。私たちはまさにその場所で撮影を行ったのだが、想像を絶するほど恐ろしいジレンマに自分がいかに対応したかを示してくれたとき、この男性がその場で周囲の風景と向き合う姿は、格別に胸を打つものだった。地雷が埋まっていると思われる場所を踏んで自分が死ぬべきか、それとも地雷を避けて歩くことで、後続のドイツ兵の一人が地雷を踏んでしまう危険を冒すべきか。もしドイツ兵が一人でも地雷で死んだならば、生き残ったドイツ兵は村人全員をその場で殺していただろう。地雷で死ぬか、銃弾で死ぬか。それが、ベラルーシの人里離れた道でこの男性が迫られた選択だった。その恐ろしい道行のあいだ、この男性は幸いにも地雷を発見することはなかった。

 同様に付け加えるべきは、本書を口頭証言のみに依拠したものにはしたくなかったということである。そのため本書では多くの演説、日記、文書史料も参照している。本書の狙いは、この分野における戦後の膨大な優れた学問的成果を踏まえながら、これらの史料を組み合わせることでホロコーストの決定過程を考察することにある。

 この25年間、私は衝撃的なホロコースト回想録や、この犯罪に関する洞察に富む歴史学研究の成果を数多く読んできた。しかし、本書が意図するように、証言のもつ感情的な力と、ナチ国家の政策形成や権力政治に関する分析の双方を結びつけようとする一般書には出会ったことがない。それゆえ、この点においても、本書が「新しい」歴史書となることを願っている。

【著者インタビュー動画:How did the Holocaust happen? An expert’s view】

 この四半世紀、世界有数の歴史家たちとの対話の中で、この問題をめぐる知的状況の変遷を目の当たりにしてきた。私が活動を始めたころは、ホロコーストの決定過程におけるヒトラーの重要な役割を指摘し、ホロコーストの何年も前からヒトラーにはユダヤ人を殺害する意志があったと主張する意図派と、ヒトラーと多くの外部要因の間の複雑な相互作用に注目することが起こったことを理解するための最善の方法だとする機能派の間で、意見が大きく分かれていた。時がたつにつれて、意図派の立場をとる歴史家は少なくなり、機能派の間では、ホロコーストが決定された正確な時点を特定しようとする議論へと移っていった。その際、さまざまな日付が提案されてきた。重要な決定が下されたのは1941年7月だとする説、1941年10月だとする説、1941年12月だとする説、さらには1942年夏だとする説まである。最近は、単一の決定的な瞬間を特定するのではなく、ナチの反ユダヤ政策が強化されていった複数の局面を特定していこうとする動きが活発になっている。

 私は意図派の議論に納得することはできなかった。あるひとつの決断の瞬間を特定しようとする試みにも十分同意できなかった。ユダヤ人絶滅という犯罪があまりに凄惨だったため、ある重大な瞬間に組織的に計画されたに違いないと考える人びとがいるのを、私はこの歴史に接しはじめたかなり早い時期から目にしてきた。しかし私はそれが誤った思考の飛躍だと考える。本書で示せたことを願うが、紆余曲折を経てナチの殺戮工場での最終的な形態にいたるまで、ホロコーストに向かう過程は漸進的なものだった。

 最後に、本書の内容は読む者にとって胸の痛むものであるが、それでも、この犯罪がどのようにして、またなぜ起こったのかを理解することは重要である。この歴史ほど私たち人間がどれほどのことをなしてしまうのかを教えてくれるものはないからである。

 【ローレンス・リース『ホロコースト 新しい歴史(下)』(白水社)あとがきより】

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