「自然史」書評 非情の眼で切り取る風景写真
ISBN: 9784865410600
発売⽇: 2017/03/01
サイズ: 23×28cm/1冊(ページ付なし)
自然史 [著]露口啓二
最初、書評委員会の場に提示された本書を手にとり、何げなくパラパラと頁(ページ)を繰っていた。そのうち、不思議な感覚に襲われ始めたことに気づいた。老齢である自分の肉体の変化を、この風景写真が表象しているように感じたからである。
肉体が生老病死のプロセスを歩むように、風景もまた人間の肉体同様の運命を辿(たど)る。一生を何度も繰り返しながら生死を流転していく仏教思想を垣間見て、言葉にならないある種の寂寥(せきりょう)感のようなものを感じた。それはきっと老いていく自分の肉体への愛執と惜別が入り交じった、たとえようのない終末意識だったかも知れない。と思って見ると、これらの風景があの世の景色に変容し始めた。
この風景写真は一体、僕に何を語りかけようとしているのか、と疑問と好奇心が泡のようにブクブクと湧き出したので、とりあえず家でじっくり眺めましょう、と思って持ち帰った。
冒頭の河原とも沼ともつかない水の風景の寂しさは、何かの惨状の跡にも見えるが、著者の言葉を借りれば、かつてのアイヌ民族の生活の場がダム建設によって水没した残像であることを知った。僕には、この世に忘れ去られたあの世の風景に思え、アイヌの他界観と結びついた。
『自然史』は、北のアイヌの森と水から始まって東日本大震災の記憶を経て、著者の古里である南の徳島の湿った深い森と浅く乾いた川の写真に辿りつく。北の賽(さい)の河原から出発して、未曽有の災禍の地を経て写真家の生地へと。その旅の途で、自然と人間を分断したあの原発事故の痕跡、森と水の国土の鎮魂の記憶に触れながら、僕は「草木国土悉皆(しっかい)成仏」の思想に到達した。
「草木国土悉皆成仏」という言葉を知ったのは梅原猛氏の著書『人類哲学序説』の「森の思想」だった。『自然史』の語る風景写真のビジョンは「草木国土悉皆成仏」そのもので日本人の自然観につながる問題提起として、または文明論として見ることもできなくはない。
自然を写すとつい情緒的になるものだが、この写真家は「今」の風景を見たまま、感じたままに非情の眼(め)で切り取る。
「草木国土悉皆成仏」とは草も木も山も川もことごとく仏になれるという仏教思想で自然は人間と同じく、生死の輪廻(りんね)を繰り返しながら、いつかは輪廻の鎖を断ち切って不退の土(ど)に辿りつく。
最後に僕の好きな写真、寝起きの頭髪みたいに髪がもつれあって、ジャクソン・ポロックのオールオーヴァー・ペインティングのようにみえる、焦点の定まらない無数の草がからみあった風景である。
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つゆぐち・けいじ 50年生まれ。写真家。2010年に本書を構想、撮影を開始。14年から福島の撮影を始め、同年、写真展「自然史——北海道・福島・徳島」を札幌で開催。著作に『露口啓二写真集』。