がん治療に劇的な変化が起きている。遺伝子解析に基づいて最適な治療を選ぶ「がんゲノム医療」の臨床がついに始まったのだ。受診できる病院は限られ、保険のきかない自由診療ではあるものの、あと5年もすればもっと身近になるはずだ。
すごい! これが一般人の私の反応。でも何がすごいの? 従来の治療とどう違う? そもそも、がんって何? 最適な医療を受ける前に、基本的なことをちゃんと知っておきたい。
医療の歴史知る
シッダールタ・ムカジーの『がん 4000年の歴史』は、医師である著者のエピソードを交え、古代エジプトから現代までのがん医療の歴史を描く。
切れ、切れ、もっと切れ、とやみくもに切った中世期。もっと早くうまく切れ、と根治的手術に挑んだ19世紀。キュリー夫妻のラジウム発見、幕を開けた20世紀。放射線治療が始まり、がん医療は「原子力」の時代へ。軍事技術は、がんを殺す「弾丸」となって医療に転用された。抗がん剤の始まりである。
主な舞台はアメリカ。医師ファーバーとロビイストのメアリ・ラスカーのがんとの闘いが多くのページを占める。二人はがん医療を国家戦略と位置づける機運を作った立役者だった。
特効薬はなかなか見つからない。女性たちは乳房切除や抗がん剤の臨床試験に悲鳴を上げる。少年「ジミー」は小児がん研究基金のイコンとなり、化学療法という「毒」の開発が加速した。予防医療をめぐって、たばこ産業との攻防が続く。一方、分子生物学の進歩はがんのメカニズムの解明に迫っていた。
大冊に圧倒されるが、ぐんぐん読める。未来のために「モルモット」になってもいいと、臨床試験に臨んだ患者たちの神々しい横顔が見えた気がした。
著者はスーザン・ソンタグの言葉を引用する。「私の本の目的は想像力を搔(かき)立てることではなく、鎮めることであった」(『隠喩としての病〈やま〉い エイズとその隠喩』)。ムカジーが本書に込めたのも同じ想(おも)いだ。
景色が一変する
よりよい治療法が開発されればがんを抱えたまま生きる時間が増える。がんに支配されて想像力をたくましくするより、がんがくれた時間を豊かに生きようと提唱するのが、樋野興夫の『がん哲学外来へようこそ』だ。
きっかけはアスベストの危険性を世に知らしめた2005年の「クボタショック」だった。工場で働いていた人々が中皮腫や肺がんで亡くなっていたことがわかり、アスベストを使用する企業で働く人々に不安が広がった。著者は勤務する病院に専門外来を設けて患者の話を聞いた。主治医と患者の隙間を埋めるこの役割が実は当事者に求められていたと気づき、カフェや教会などで「がん哲学外来」をスタートさせる。
お茶を飲みながら、患者の話を聞く。話題は治療を妨げる要因を探ることが中心になる。がんより前からあった根源的な問題かもしれない。それに気づいた時、内にばかり向いていた関心は外へ向き、人生の役割を見出(みいだ)していく。「明日死ぬとしても、今日花に水をやる」と。
そんな境地に辿(たど)り着くのは容易ではない。がんの夫をもつ妻の日常を描いた青鹿ユウの漫画『今日から第二の患者さん』は、がん患者の家族なら身に覚えのあることばかり。玉石混交の情報と健康食品に埋もれ、「アナタがしっかりしないと」「一番ツライのは患者なのよ」の忠告にぐったり。ある日、妻は気づく。家族だってケアされるべき「第二の患者」ではないか。
夫も漫画家で、SNSの連載が話題になって書籍化された。二人一緒に水やりできる日はきっと来る、そんな希望が垣間見える。万のネット情報よりこの一冊で景色は一変するだろう=朝日新聞2018年2月4日掲載