事件ルポの本懐 真相を伝え健全な社会へ 小野一光

奇(く)しくも、事件を描いたノンフィクションの推薦作を選び終えた直後、20歳の女性の遺体が発見されたとの報(しら)せが届いた。
神奈川県川崎市で、元交際相手からのストーカー被害を受けていた女性が行方不明となり、その後、相手宅で遺体が発見されたというもの。
被害女性やその親族が、神奈川県警に元交際相手による暴力やつきまといを訴えていたが、有効な策は講じられず、最悪の事態となった。
いつまで捜査機関は同じ轍(てつ)を踏むつもりだろうか。それが率直な感想である。
ノンフィクションライターとして殺人事件についての取材を続けるなかで、核心に迫る情報を集めることは、いかに地味な作業の積み重ねであるか、身に染みて感じている。
職業柄、この情報はここからこうして手に入れ、あの情報はあそこでああしなければ得られなかっただろうと、取材の裏側が見えてしまうことも少なくない。
かかる事情により、著者が“足を使い”、しかも尋常ではないほど“しつこい”取材をする作品に惹(ひ)かれてしまう。
清水潔による『桶川ストーカー殺人事件 遺言』(新潮文庫・825円)は、まさにそんな作品だ。
写真週刊誌の記者であった清水は、1999年10月に、埼玉県桶川市で女子大生が刺殺された事件を取材。そのなかで、真実を歪曲(わいきょく)した情報を警察が流し、それを鵜呑(うの)みにしたメディアが誤情報を拡散している現状に気づく。
地道な取材を重ねた結果、清水は警察よりも早く真犯人を捜し当て、埼玉県警による職務怠慢や、告訴調書の改ざんなどの不祥事が詳(つまび)らかになる。この一件をきっかけに、2000年5月には、ストーカー規制法が成立した。
福岡県の放送局であるテレビ西日本(TNC)に勤める塩塚陽介の『すくえた命 太宰府主婦暴行死事件』(幻冬舎・1870円)は、2019年10月に起きた、福岡県太宰府市の主婦への傷害致死・監禁・恐喝事件を取り上げる。
塩塚は、報道部の記者時代に出会ったこの事件の遺族から、被害者の実家に近い佐賀県警鳥栖(とす)署に何度も相談に行っていたのに「全く動いてくれなかった」と聞く。その時点で県警が動いていれば、暴行死は未然に防げたというのだ。
遺体発見現場を管轄とする福岡県警が、犯人たちを逮捕したものの、捜査の怠慢を否定し続けた佐賀県警は、過去と変わっていない組織の姿を浮き彫りにする。
また、公平中立を旨とする記者の彼が、他社の質問にどう答えるべきか遺族に問われるくだりには共感した。突き放すことができず、「あくまで個人の意見ですよ」とアドバイスしたことを「『やってはいけない線を越えている』感じがあって、地味に心を削っていた」と明かすのだ。
このたぐいの葛藤は避けられない。そんなとき私は、自著で詳らかにすることで、迷いを薄めてきた。その点では彼も、“告白”できたことは幸運であったように思う。
ここまで警察の怠慢や責任逃ればかりに触れてきたが、それはごく一部のこと。高尾昌司の『刑事たちの挽歌(ばんか)〈増補改訂版〉 警視庁捜査一課「ルーシー事件」』(文春文庫・979円)を読めば、捜査員がいかに真摯(しんし)に、事件と向き合っているかが伝わってくる。
2000年7月に出された、英国人女性の家出人捜索願から、被害者10人に及ぶ準強姦(ごうかん)致死などの犯罪を炙(あぶ)り出そうとした“潜行捜査”について描く本作では、捜査員がすべて実名で記される。そのことだけで信頼度が増す。やはり実名が出てくるというのは強い。
関係者の都合の善(よ)し悪(あ)しに関わらず、ノンフィクションで真相が明かされる。健全な社会にとって必要なことだと思う。=朝日新聞2025年6月14日掲載