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沢木耕太郎「春に散る」書評 小説で問う「世代交代」の意味

評者: 武田徹 / 朝⽇新聞掲載:2017年03月19日
春に散る 上 著者:沢木耕太郎 出版社:朝日新聞出版 ジャンル:小説・文学

ISBN: 9784022514417
発売⽇: 2016/12/31
サイズ: 20cm/427p

春に散る(上・下) [著]沢木耕太郎/大鮃 [著]藤原新也

日本のノンフィクション界を代表する二人が相前後して新作を刊行した。
 『春に散る』は元ボクサー四人の物語。本紙連載を元とする作品だ。渡米していた一人の帰国から仲間が再び集まり、共同生活を始める。『大鮃(おひょう)』はネットに逃避して社会との交わりを断ってきた三十代の主人公が父の生まれ故郷であるスコットランド北端の島への旅を通じて自らの殻を破ってゆく成長物語だ。
 このように内容は当然異なるが二作には共通点がある。『春に散る』の元ボクサーたちはボクシングの英才教育を受けながら目標を見失っていた若者と出会い、彼と共に自分たちが果たせなかった世界チャンピオンの夢に再挑戦する。『大鮃』の主人公は現地に住む老人に導かれて、父もまたその地で嗜(たしな)んだ大鮃釣りに挑戦。洋上で繰り広げられる巨大魚との壮絶な格闘が亡父の父性を受け継ぐ儀式となる。つまりバトンを渡す側か受ける側かの違いはあるが、二作は共に世代交代がテーマなのだ。
 符合は他にもある。両作は共にフィクションとして書かれた。沢木は過去に何度もボクシングを執筆対象としており、『一瞬の夏』というノンフィクションの傑作がある。藤原にもアイルランドの寒村の光景を写真と文章で表現した『風のフリュート』と題した作品があり、ヨーロッパの果ての地の気候や神話的な心性・風土は熟知している。こうして共に〈土地勘の働く〉フィールドを舞台としているだけにノンフィクションを選択しなかった理由が気になる。
 無粋を承知で仮説を立ててみる。ノンフィクションで書かれるに十分だと著者たちが考えるような第一級の人物や事件との出会いに恵まれなかったのではという消極的な理由をまず思う。作品を発表し続ける使命感や締め切りとは無縁で、私心なしにじっと出会いを待てる若い書き手にノンフィクションの女神は微笑(ほほえ)みがちだ。
 著者たちは共に一九四〇年代生まれ。日本のノンフィクションを牽引(けんいん)してきた創造力に翳(かげ)りは感じないが、世間一般的には世代交代が意識される年齢に達している。そうした状況の中で今回のテーマが選ばれたのだとしたら、特定の誰かの物語となるノンフィクションよりも、生命と思いを受け継いでゆく普遍的な世代交代の物語にふさわしいフィクションの形式が積極的に選ばれたのかもしれない。
 もちろん著者の真意は読者がそれぞれに汲(く)めばいい。ただ、この二作それ自体がノンフィクションとフィクションの枠を超えて物語を綴(つづ)ろうとした著者たちの勁(つよ)い意志を載せたバトンとなって、後世に受け渡されることは間違いないだろう。
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 さわき・こうたろう 47年生まれ。作家。著書に『深夜特急』『テロルの決算』『凍』など▽ふじわら・しんや 44年生まれ。写真家、作家。『東京漂流』『メメント・モリ』『黄泉の犬』など。