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「近代科学のリロケーション」書評 インドで協力して築かれた土台

評者: 中村和恵 / 朝⽇新聞掲載:2016年10月09日
近代科学のリロケーション 南アジアとヨーロッパにおける知の循環と構築 著者:カピル・ラジ 出版社:名古屋大学出版会 ジャンル:自然科学・環境

ISBN: 9784815808419
発売⽇: 2016/07/29
サイズ: 22cm/229,79p

近代科学のリロケーション [著]カピル・ラジ

 近代科学は純粋に西ヨーロッパ発のものとして理解されるべきなのだろうか。そうではない、という非ヨーロッパ出身者の反論は、自分が属する文化に科学的思考はすでに存在していたんだといった、ナショナリスト的なものにならざるをえないのだろうか。そもそも近代科学とは何なのか、地上を覆いつつあるこの普遍的合理性への信頼は、具体的にはどのように形成されてきたのだろう。
 こうした問いに答えるため、カピル・ラジは植民地インドの六つの事例を選んだ。17世紀末にフランス東インド会社で働いていた外科医が編んだインドの草本誌。18世紀のイギリス人地理学者が作成したインド亜大陸地図。19世紀カルカッタ(コルカタ)の二つの高等教育機関と、カシュミール地方を探索した測量隊。
 そこに浮かび上がるのは劣等視され搾取される被支配者ではなく、ともに共通の科学知のプラットフォームを築いていく協力者としてのインド知識人たちの姿だ。異なる知流の相互作用で「不断に移ろいゆくプロセスの経験」として、科学知の形成を記述する。政治的公正さの希求に終始しがちな狭義の植民地主義批判にも、偏ったナショナリズムにも与(くみ)せず。このラジの立場は広義のポストコロニアリズム(当人はこの語に否定的だが)だと思う。
 18世紀末カルカッタで判事を務めた言語学者ジョーンズをめぐる章は、目から鱗(うろこ)のおもしろさ。インドの古代語サンスクリットはヨーロッパ諸言語と同起源という彼の説を、インド人学者が科学史の文脈に置き直すと、こんなに戦略的に見えるとは。科学的とは結局信頼できるということ、そして信頼できるとはモラルを共有する共同体の一員、当時なら英国のジェントルマンであることだった。
 その後の3世紀で科学は国際化し多様化した。だが科学知も人が形成した知、偶発的でローカルで、商売や政治に左右されるのは変わらない。じつに人間的。
    ◇
 Kapil Raj インド出身の科学史研究者。デリー大学で修士号取得、フランス社会科学高等研究院教授。