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死後も生きる、彼女のコトバ 夫婦脚本家・木皿泉、5年ぶり小説「さざなみのよる」

 「すいか」「Q10」などのテレビドラマで知られる夫婦脚本家、木皿泉(きざらいずみ)が5年ぶりの小説「さざなみのよる」(河出書房新社)を出した。山本周五郎賞の候補になった前作「昨夜(ゆうべ)のカレー、明日(あした)のパン」に続く小説第2作。一人の女性の死が、生前にかかわりのあった人たちの日常に染み渡っていく物語だ。

 末期がんで病床にいた小国(おぐに)ナスミは、ある日の早朝、家族との思い出を振り返りながら息を引き取る。その瞬間から、視点人物は姉の鷹子、妹の月美、夫の日出男、大伯母の笑子(えみこ)へと入れ替わり、その後も中学時代の同級生や昔の同僚、さらには、ほんの少ししか関わりがなかった人物へと広がっていく。
 木皿泉は、神戸市在住の和泉務(いずみつとむ)さん(65)と、妻鹿年季子(めがときこ)さん(61)の夫婦による共同ペンネーム。妻鹿さんは「死んだら死にきりじゃなくて、死んだ後もこんなに進んでいくんだよ、みたいな感じは前から書きたかった」。和泉さんが「ぽちゃんと、池の波紋が広がるみたいに」と話すように、物語はナスミの死を描く第1話から14話までが時系列で進む。最初に構成を決めて書き始めたという。

自作ドラマから発想

 実は本作は、自ら脚本を手がけ、2016年と17年の正月にNHKで放送されたドラマ「富士ファミリー」のスピンオフ。執筆のきっかけについて、和泉さんは「(笑子を演じた俳優の)片桐はいりさんが『これは長い長いドラマの最終回のような気がする』って」。妻鹿さんも「役者さんが世界を作ってくれてたので、去りがたいというか。もうちょっと見てみたい感じが私自身もした」と話す。
 だから、書きながら頭にあったのもドラマの配役だ。ナスミは小泉今日子さん、鷹子は薬師丸ひろ子さん、日出男は吉岡秀隆さん――。妻鹿さんは「ドラマで皆さんが作り上げた世界を、はっきり言ってパクっちゃった」と笑う。「先にリアルな人間がやっているドラマがあるから、あんまり作り物っていう感じではないかもしれませんね」
 ナスミの死に触れた人たちは、彼女の言葉を思い出す。言葉を通じて、ナスミの存在は死後も広がっていく。妻鹿さんは「言葉は単体ではなかなか力を持たなくて、言われたときの状況とか誰が言ったかとか、自分がどういう気持ちだったかとかで決まる。ナスミさんはみんなが言えないようなことも言えちゃう人なので、たぶん強いんでしょうね。あとやっぱり、死者の言葉は強いんです」。
 木皿作品では、言葉は「コトバ」とカタカナで書かれることが多い。そう水を向けると、妻鹿さんは「『野ブタ。をプロデュース』のドラマを書いてから、ずっとそうなんですよ。なんか癖になっちゃって」。隣で和泉さんが「そういうことにすごい神経質ですよ」と茶々を入れると、照れながらこう続けた。

「言の葉」よりも自由

 「言葉を漢字で書くのが、私は違う感じがするんです。言の葉なんだけど、そう書くとちゃんと整った、きれいな感じがするので。私のイメージでは言葉は自由自在で、いつでも変わっていくものだから。コンビニに売っているような、安っぽい感じがいいかなと思ってコトバって書いてるのかな」。それはもちろん、軽く見ているということではない。
 「ココロもカタカナで書く癖がついちゃって。自分で重めだなって思うものをカタカナで書くことで、自分自身が大したことないと思うことにしているのかも。重いなって思うとなかなか書けないので。裏返しかもしれませんね」
 それが、せりふへのこだわりにもつながっていく。「その場に一番ぴったりするコトバを探して書くようには心がけています。でも、何書いてもコトバなんて噓(うそ)みたい。コトバにした途端に噓じゃないですか。だって絶対にずれているから、自分の気持ちと」。その確信が、印象的な場面を紡ぎだす原動力なのかもしれない。(山崎聡)=朝日新聞2018年5月21日掲載