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新井紀子さん×山本康一さん対談(前編) 「AI時代」の辞書の役割とは

新井紀子さん(右)と山本康一さん=松嶋愛撮影

対談の後編 辞書は民主主義のよりどころ

辞書を引いても理解できない

新井:読解力を測る「リーディングスキルテスト」を2016年から実施しているのですが、その中に、「定義を正しく読めるか」を問う問題があります。その作問には、三省堂さんの「例解小学国語辞典」を参考にさせて頂いています。例えば、次のような問題です。

 この「はかる」の使い分けは「例解小学国語辞典」のコラムに書かれています。「学校までの歩く時間」や「50m走のタイム」は「時間」だから「計る」になりますね。一方、「湖の深さ」や「身長」は「長さ」だから「測る」になる。そのように考えると、正解は上の二つだとわかるはずです。説明されれば、誰でもわかる問題だと思いますが、この問題の正答率は大人を合わせても52.7%に過ぎません。

 私たちの調査から、小学5年生から中学卒業までは読解力は伸びるのに、高校に入学すると伸びが止まることがわかりました。どうやら、中学卒業までに「自己流の読み」が染みついて、そこから抜け出すのが難しいらしい。特に、この「定義を正しく読む力」が弱い人は多いですね。「自分は普段このように使っているから」と、冒頭に書かれている定義を読まずに答えを選ぶ人も少なくありません。

山本:この問題で半数の人が間違えるとは驚きました。おっしゃるように、中学生までに辞書的な定義と用例を突合するスキルが得られておらず、基礎的な語彙の獲得ができていないのでしょうね。

新井:「文章に含まれる言葉のうち、98%を知らないと、内容を理解できない」という海外の研究があります。わからない言葉があって辞書を引いても、そこにさらに知らない言葉が書かれていたら、どうしていいかわからない。「辞書を引きましょう」と言う前に、まず、前提となる基本語彙を十分に耕してあげる必要があります。

山本:学校や家庭で「辞書を引きなさい」となかば強制的に言われるだけでは、子どもたちはだんだん嫌になって辞書を引かなくなってしまう。その背景には、引いても理解できないからという理由があるようですね。それでは堂々巡りになってしまいます。

新井:辞書の使い方は小学校で教わったきりで、それ以降はもう使えるものだという前提で授業が進んでいきます。でも、中学生用、高校生用と辞書の説明で使われる語彙のレベルが上がっていきますね。それに合わせて何度も辞書の使い方は教えたほうがいいと思うんです。

山本:確かに辞書のレベルが上がるごとに使い方のアップデートを行うような指導があるといいですね。その上で、辞書でわからない言葉を引くだけでなく、パラパラとページをめくって、いろんな言葉に触れてみるのもいいと思います。そのためには、読んでいて様々に興味を引く辞書づくりをする工夫が重要だと感じています。

新井:そもそも学習する上で「〜を〜といいます」という形の定義文を読んで、新しい言葉を獲得する力は必須です。例えば、地球から見て月によって太陽が隠される現象を「日食」といいますね。新しく「日食」という語彙を導入することによって、同じ長い説明を繰り返さなくてよくなります。これが、まさに新たな語彙、特に学習言語を獲得するということですね。

AIをどのように使うか

――最近、ChatGPTなどのAIが話題になっていますが、新井先生はどのように使っていますか。

新井:私は6年半ほど留学した経験がありますが、それでも英語は母語ではないので文章を書くときには、ChatGPTなどのAIを活用しています。最初から文を書かせるわけではなくて、自分が書いた英語がスムーズであるかを聞いてみるんです。

 言葉には「こういう文脈ではこういう語彙を使う」という統計的な側面があります。例えば、アカデミアの人々は論文でよく使う語彙がありますが、友達同士の会話ならばもっとカジュアルな言葉を使いますよね。言葉にはそういう文化的な側面があるので、AIに対して「論文でこの言い回しは妥当か」などと聞いてみるんですね。

 ただ、AIは本当の意味で「記号接地」(言葉の意味を現実世界の事物と結びつけて理解すること)はしていませんし、現状では間違ったことも相当混じっています。だから最後は自分で直さないといけません。それでも「なるほど」と思わされる言い回しを提案できるのは、やはりAIが収集しているデータの量が尋常じゃないからでしょう。

AIを使いこなすためにも辞書が必要

――AIが隆盛する中で、辞書はどのような役割を担っていくでしょう。

山本:それは私も非常に気になる大きな問題だと思っています。新井先生にお目にかかったのはもう10年以上前でしたが、そのきっかけは人工知能プロジェクト「ロボットは東大に入れるか」でAIの質を高めるために辞書のデータを使いたいとお話をいただいたことでした。

 それが昨年からChatGPTをはじめAIが大きな話題となっています。「もう辞書は必要ない」と言われることもありますが、やはり実際にAIを使ってみると間違いは多いですよね。だから我々にはそれが間違いだとわかる能力が必要です。そのためには語彙のレベルでは、まずは機会あるごとに辞書を確認するようにしてもらいたいと思います。

新井:私はAIを使っても、最後はやはり自分の目で確認します。リーディングスキルテストで問うてきた、「自分で読み、判断する力」ですね。「こういう時はこういう使い方をするから違うんじゃないかな」などと考えられるリテラシーは、私は辞書に育てていただきました。

山本:AIを使いこなしていくためにも、辞書が必要なのではないかと思うんです。子どもの頃から基礎的な語彙を獲得し、拡張していく。そうすれば、言葉の意味をしっかり捉えることができて、AIの生成結果の正誤の判断もできるでしょう。そんな基礎的なツールとして、辞書を作り続けていく必要があると思います。

対談の後編 辞書は民主主義のよりどころ