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諷刺の名手・柚木麻子が「あいにくあんたのためじゃない」で問うたもの(第13回)

©GettyImages

社会問題を扱う6作、笑って読んで後に…

 あんた、この世をどう思う。
 往年の人気時代劇、テレビ朝日系列の『必殺仕業人』オープニング・ナレーション風に始めてみた。ちなみにナレーターはダウン・タウン・ブギウギ・バンドの宇崎竜童だ。
 柚木麻子『あいにくあんたのためじゃない』(新潮社)はまさに、この世をどう思う、と問いかけてくるような諷刺小説集だ。

 諷刺、といっても主題が前面に押し出されるような硬い作風ではない。なんらかの社会問題を扱っているという点は6つの収録作すべてに共通するのだが、読んでいる間は大笑いするのに忙しくて、硬いことは言いっこなし、という気分になる。ページを閉じてみて初めて、あ、そういえばあれってどうなんだっけ、という考えが頭をよぎる構造なのだ。
 巻頭の「めんや 評論家おことわり」は、ある人気ラーメン店を巡る物語である。脂ぎとぎと系とは対照的な澄んだスープが人気の「中華そば のぞみ」がラーメン好きの間で旋風を巻き起こす。「のぞみ」に行かなければラーメン好きの名折れ、「のぞみ」に触れないで通を気取るな、と言わんばかりの地位を築くのである。そこに乗り遅れてしまったのが、かつてラーメン評論家として一時代を築いたこともある佐橋ラー油だ。佐橋は「のぞみ」から締め出されてしまっている。他の客への迷惑行為、店員へのセクシャルハラスメント、取材を名目にした営業妨害があったということを理由に、「のぞみ」は評論家の入店おことわりを打ち出した。それはいちいち佐橋に該当する行為だったのである。「のぞみ」を語れない評論家の居場所はなくなった。

筒井康隆の短編を想起、普遍性持つ指弾

 ネットに謝罪文を掲載してようやく許された佐橋が「のぞみ」を訪れることから物語のうねりが始まる。何が起きるのかは書かないことにするが、後半の展開を読んで思い出したのは筒井康隆の某短篇だった。鋭い皮肉がいちいち突き刺さってくる。この話はどういう場を想定して書かれているか、という前提を作者はまず見せる。それを読者が咀嚼しきったところで、さあ、どうぞ、と物語の奥へ誘うのだが、そこで待っているのは意外極まりない展開で、うっかり入っていくと槍の群れに襲われることになる。ぐさぐさと突き刺されるぞ、宇都宮釣り天井の仕掛けだぞ。この構造がまず特徴的だ。

 佐橋ラー油がどんな人物であったかということは上に挙げた抵触した禁止行為から薄々感じ取っていただけるのではないかと思う。自分のためには他人を踏みにじってもなんとも思わない、むしろ誰かの人生をないがしろにしていることに無自覚である。そんな俺様だ。本書の怖いところは、各篇で行われるこうした指弾が、たとえばラーメン評論家、グルメ評論家といった限られた領域だけではなくて、広く普遍性を持つ点である。
 佐橋がメディア寵児の座を追われたあと、そこに座ったのは替え玉太郎というYouTuberだった。何を食べても「うまいッス!」とダブルピースをするぐらいしか表現手段を持たない替え玉太郎を佐橋は、評論家とは呼べない、と蔑む。“言語化できない複雑な旨味や素人には気づかない美点をキャッチして文章にすることが、評論家の役目ではないか。そうやって廃れていきそうな、そうかと思うと大衆化しすぎてしまうラーメン文化を守り、つなぎ、そして新たなファン層を獲得していくこと。そのためには、時に憎まれ役を担うはめになったとしても構わない”というのが佐橋の“使命であり、人生の矜恃”なのだという。あれあれ、この一文、ラーメンの部分を他の分野に替えても成立するんじゃないか。たとえば私の本来の専門であるミステリーにしても。いてててて。
 急いで補足すると、作者は評論行為そのものを軽視したり否定しているわけではなく、大義名分を手にした者が傍若無人に振る舞うことを嘲笑しているのである。評論、あるいは創作という錦の御旗を振りかざして他人の尊厳を踏みにじるような真似をしていませんか、と私も自分の胸に問うてみなければなるまい。そういう風に居住まいを正したくなる要素がこの作品にはある。

他人の人生を奪う男たち

 それ以外の作品も秀作揃いである。「パティオ8」は、新型コロナウイルス蔓延によってこどもを外に行かせられなくなった親たちが、住んでいるマンションの中庭で遊ばせることから始まる。住人たちにとっては唯一の救いが中庭なのである。だがそこに文句を言う者が現れる。101号室に住む男だ。男は在宅勤務となり、リモートで重要な商談をしているのだという。こどもの声で邪魔されるので、中庭で遊ばせるなと執拗に言い立てる。その権幕に押され、引き下がった母親たちなのだが、もちろん怒りがこみあげてくる。なぜ男様のお大切なお仕事のためにわれわれが健全な姿の子育てを諦めなければならないのか、と。ここでも他人の人生を無自覚に奪う男性が登場する。
 背景に新型コロナウイルス流行下の社会が描かれていることに注目されたい。「トリアージ2020」もそうした作品で、女性医師を主人公にした連続ドラマを通じてSNSでつながった2人の物語である。感染を避けるために親しい間柄でも会うのを避けなければならない、という距離の取り方をしていた時期であったことが話の前提になっている。作中で描かれる「トリアージ」というドラマは、もう20年近くも続いているという設定だ。開始当初と現在では、社会的な常識も変化していて、ドラマ主人公の描かれ方を通じてその変遷がさりげなく描かれる。収録作中ではもっとも落ちが鮮やかに決まった1篇だ。

 どの作品でも、他人の人生を奪うのはもっぱら男性である。これは作為の働いた結果ではなく、社会の図式をそのまま移した結果だ。だからこそ諷刺小説なのである。諷刺とは縮図のことで、原型を失わない形で行われたデフォルメにより、元の対象に備わっていた特徴や問題点が浮き彫りにされる。柚木はこの諷刺という技巧の名手なのだ。簒奪者としての男性がもっともわかりやすい形で描かれるのは最後の「スター誕生」で、動画配信という形で誰もがメディアの発言者になれる世相の中で、ある女性が突如注目される存在になる。そのことに気づいた男性が主人公なのだが、彼自身が無意識に行おうとしている簒奪を作者は残酷な形で浮かび上がらせてみせる。とはいえ、筆致はユーモラスで指弾する対象の男性にも救いの手を差しのべている。結末は情けないが感慨の残るものだ。

 本書は2022年に刊行された『ついでにジェントルメン』(文藝春秋)と同系統の作品集だ。『ついでにジェントルメン』は、男性が男であるということだけを理由に大きな顔をして生きているのはなぜかという疑義から始まる作品を集めた短篇集で女性が主役、「ついでに」ジェントルメンだからこの題名なのである。収録作中では「不倫を題材にした性愛小説が純愛の美名で売れたものだから大儲けできたが今は駄作しか書けなくなり、かつての栄光が忘れられずに作品の舞台となったホテルを訪れる」老作家を主人公とした「渚ホテルで会いましょう」がとにかく傑作であった。誰かなあ老作家のモデルって。この作品集に「ついでにジェントルメン」という短篇は入っていなかったが、同じように『あいにくあんたのためじゃない』にもそういう題名の作品はない。読み終わった後で本の題名を見て、そういえばこの「あんた」って誰を指しているのだろう、と考えてもらうというのが作者の狙いだろう。そうした構造も含め、実に完成度の高い1冊である。
 あんた、この「あんた」をどう思う。