辞書は民主主義に不可欠なピース
新井:今もウィキペディアはよく使われていますし、辞典や辞書のニーズはものすごくあるはずです。どんなに形を変えても、私たちにはどうしても必要なものだと思います。それは民主主義を成り立たせるためにも不可欠です。
近年、フェイクニュースが問題となっていますが、正しい語義が存在するからこそ「フェイク」を問題視することができる。そもそも言葉の定義がなかったら、みんなが好き勝手にある事象に名前をつけて語っていく。人々はそれぞれ小さなグループの中で、少ない語彙でわかり合っているような状態になる。みんなが同じ言葉を使わなくなったとしたら、国会も法律も成り立たなくなってしまうでしょう。国連で国同士で話し合うようなこともできません。「バベルの塔」崩壊後のような状態に陥ってしまいます。
だから「AIさえあればいい」という考え方は「法律がなくてもいい」というのと同じようなものです。辞書には、権威ある専門家の方々が定義した共通理解がきちんと書かれている。それがあるからこそ、フェイクであるかどうかを論じることができます。辞書はどんな時代であっても、民主主義と世界の平和を成り立たせるための不可欠なピースだと思っています。
山本:辞書にそれほど大きな役割があることに今さら気づかされました(笑)。でも本当にそうなんだと思います。平和を維持していくためには社会の一員としての教養が必要ですし、社会全体で共通した教養を持つためには、やはり最終的には言葉の重要性に行き着くでしょう。辞書はそのよりどころとなる。これからもそうした思いで辞書を作り続けていきたいと思います。
共通で使える言葉を獲得していくためには、先ほども話したように辞書をパラパラとめくってみてもらうのもひとつだと思っています。いろんな言葉と偶然に出合える「セレンディピティー」があるはずです。そして言葉について人と対話をしてもらう。もし自分の使い方がちょっと違うと気づいたら、軌道修正していく。そのようにして、新たな言葉を獲得していってもらいたいです。
今後、辞書の電子化はますます進んでいくでしょう。スマホなどで携帯することで、これまで以上にいろんな場面で活用することができる。辞書を社会的なインフラのひとつとして、ぜひ活用してもらいたいです。
類書で最大級の4万6500項目
――この度、三省堂の「例解小学国語・漢字辞典」が改訂されたそうですが、どのような特徴があるのでしょう。
山本:小学生や中学生が使う辞書は、教科書が非常に重要な参考対象になります。だから新しい教科書を調べた上で、それに寄り添うような工夫をしました。例えば、教科書に合わせて、目にやさしいオールカラーの色づかいにしています。また、辞書ではじめて「UDデジタル教科書体」を使用しました。読みやすくわかりやすいと評判の書体で、学力向上に効果があるとされています。
それから、「例解小学国語辞典」は収録語彙数を約4000語増やして、合計4万500語となりました。特に子どもたちに身近な言葉、時代を反映した言葉などを増補しています。さらにコラムなども合わせると合計で4万6500項目ほどありますが、これは類書の中でも最大級の項目となっています。知らない言葉を引いたときに、過不足なく対応ができるはずです。そして例解コラムも非常に充実しています。新井先生のリーディングスキルテストのような問題にも対応ができますね(笑)。
また、今回から購入者は無料でウェブアプリのオンライン辞書が利用できるようになりました。家では「セレンディピティー」のある紙の辞書を活用してもらう。外出時にはいろいろな場所からPC、タブレット、スマホで利用してもらえればと思います。
辞書を編む人の誠意
新井:私は本当に三省堂さんの「例解小学国語辞典」を愛しています。辞書を編む人は、既にその言葉を知っていらっしゃいますね。だから自分の中で「記号接地」(言葉の意味を現実世界の事物と結びつけて理解すること)ができているわけです。自分では獲得していて、しかもどうやって獲得したかも覚えていない言葉を人に教えるのは、本当に難しいことなんです。知らない人の気持ちになかなか立つことができず、どうしても相手が知っていることを前提に書きたくなるものです。さらに小学国語辞典の場合は、目の前にいない子どもたちに伝えないといけません。
「例解小学国語辞典」でカバーされている4万超の語彙をすべて知っている小学生はほぼいないでしょう。でもそんな子どもたちに対して、しっかり伝えようとする誠意を感じるんです。それが4万もの語彙数すべてで徹底されている。これはとても気が遠くなるような作業だと思います。
山本:ありがとうございます。新井先生もリーディングスキルテストで、子どもたちの語彙や読解の力を向上する活動をされています。同じ目的に向かって、ぜひ今後も協力させていただければと思っています。
新井:これからもリーディングスキルテストの正答率など、子どもたちの実態をお伝えしていきたいです。そうしたインタラクションによって、よりよい辞書づくりに貢献できたらいいなと思います。