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デジタルリマスターされたラヴクラフト 「新訳クトゥルー神話コレクション」

文:朝宮運河

 20世紀米国怪奇小説の巨匠、H・P・ラヴクラフト(1890~1937)。その作品をライター・翻訳家の森瀬繚氏が新たに訳出した「新訳クトゥルー神話コレクション」の第2弾、『「ネクロノミコン」の物語』が出た。昨年刊行されたラヴクラフト作品集『クトゥルーの呼び声』が異例のヒットを記録し、めでたくシリーズ化が決まったものという。胸躍る思いでページをめくり、前巻同様たちまち読了した。

 本コレクションの特徴を一言でいうなら、「読みやすく、分かりやすいラヴクラフト」である。独特の息の長い文体で綴られるラヴクラフトの小説は、現代日本人にとってややハードルが高いものだ。森瀬氏は原文のムードを十二分に尊重しつつ、平易で現代的な訳文を用いることで、20世紀初頭に書かれた怪奇小説に21世紀の風を吹きこんだ。デジタルリマスターされたラヴクラフト、とでも言おうか。

 しかもそこにはマニアをうならせる特典が山ほどついている。丁寧な注釈と解説が作品理解を手助けしてくれるし、付録の地図や年表、索引もつくづく頭が下がる労作だ。翻訳ものはどうも苦手という人、以前ラヴクラフトに挫折したという人も、だまされたと思って読んでみてほしい。「こんなに読みやすかったんだ!」と驚くはずだから。

 サブタイトルにある「クトゥルー神話」とは、ラヴクラフトの作品に端を発する架空の神話大系である。はるかな昔、地球は外宇宙から飛来した異形の神々によって支配されていた、という共通の世界観をもとに執筆された一連のホラー小説は、ラヴクラフトの死後も多くの作家によって書き継がれ、今日では映画・ゲーム・漫画・ライトノベルとあらゆる領域に浸透している。

 本書『「ネクロノミコン」の物語』は、その神話中に象徴的なアイテムとして登場する禁断の古文書「ネクロノミコン」にまつわる作品を収めたもの。砂漠に眠る古代都市がエキゾチックに描かれる「無名都市」、墓荒らしの男たちが残酷な復讐を受ける「猟犬」、大都会ボストンの地下に潜むものの恐怖を熱っぽく語った「ピックマンのモデル」など、バラエティ豊かな8編を収録する(うち1編はラヴクラフトによるネクロノミコンの設定資料)。それぞれ独立した短編としても楽しめるが、通読することで人類の存在をおびやかす邪悪な神の影が浮かびあがり、より大きな恐怖にうち震えることになる。

 手っとり早くラヴクラフトの神髄に触れたければ、「ダンウィッチの怪異」から読むのもおすすめ。魔術に取り憑かれた一家が引き起こす怪事件を、迫真の筆致で綴ったホラー史に残る大傑作だ。ある種の怪獣映画を連想させる壮大なクライマックスもさることながら、不気味で暗示的なエピソードがいくつも積み重ねられてゆく物語前半は、何度読み返してもぞっとする。これぞホラー、これこそがラヴクラフトだ。

 人気のスマホゲーム「Fate/Grand Order」の影響もあって、昨年来また大きな盛り上がりを見せているクトゥルー神話。本書はその原典に触れたいと願う新規ファンにとって、またとない入り口となるはずだ。創元推理文庫版『ラヴクラフト全集』と並ぶロングセラーとして、末永く書店の棚に置かれてほしい好著である。