204㎝という身長とスピードを生かし、Vリーグの「パナソニック・パンサーズ」や全日本男子「龍神NIPPON」でミドルブロッカーとして活躍する山内晶大さん。バレーボールを始めたのは意外にも遅く、高校に入学してから。中学までやっていたというバスケットボールを高校で選ばなかったのは、コンタクトプレーは自分に向いていないと感じたからだそう。
「バスケ部の練習を見学したんですけど、みんな体ができていてパワーもあって、その中で体の細い自分がやっていくのは難しいと思いました。そのあと、バレー部の顧問の先生に練習を見に来るかと誘われて、バレーボールはやった事がなかったけど、接触プレーがない分、自分の高さを生かせるかなと」
入部当初は何もできなかったんですよ、と山内さん。でも少しずつ、アンダーパス、オーバーパス、スパイク、サーブとできるプレーが増えていき、バレーボールの面白さに目覚めていった。
「やっぱりつなぐ面白さですね。3回で相手コートにボールを返さなきゃいけない中で、次に受けるチームメイトが打ちやすいボールを上げたり、『絶対に拾う』と強い気持ちでレシーブしたり、みんなが思いをつないで攻撃していく。その面白さがバレーボールの魅力だと思うし、それがあったから続けられているんだと思います」
身長は高校3年間で15㎝ほど伸びて、卒業する頃には2mを超えた。3年の時に国体選手に選ばれ、そこで全国レベルのプレーを目の当たりにして「高いステージでやりたい」という気持ちが芽生えたという。そして東海大学1部リーグの愛知学院大学へ進学し、3年生になった2014年には全日本メンバーに。バレーボールを始めてから日本代表まで、一気に駆け上がってきた。でも山内さんは「自分をすごいと思ったことなんて一度もないですよ」と、ぽつり。
「ほかの人より経験が浅いから、いつもついていくので精一杯。全日本は練習内容や選手のレベルがこれまでとは違いすぎて、驚きの連続でした。『日の丸をつける自覚を持て』と言われても、正直最初はピンと来なかったですし。でも、全日本に入った最初の年のアジア競技大会の決勝でイランと対戦した時、全然スパイクが決まらず、ブロックはタッチすら取れなくて、何もできなかったんです。その悔しさもあって、だんだん意識が変わった。練習内容や食事内容など、ちゃんと考えながらバレーボールに取り組むようになりました」
全日本メンバーになって今年で5年目。山内さんは自分自身の成長をはっきり感じている。一番は気持ちの部分。代表入りした最初の頃は、ベテランに「おんぶにだっこだった」のが、今ではブロックシステムの指示を出したり、声を出してチームを盛り上げたりするように。もともと引っ張るのは苦手なタイプ。「自分としてはかなりの変化です」と笑う。
「下の世代が入ってきて、いつまでも甘えていられないと思ったのと、あとは去年、セッターの藤井(直伸)さんが代表に入ったのが大きかったですね。藤井さんはクイックでミドルブロッカーをよく使うタイプで、僕にもかなりボールを上げてくれた。それで必然的に自分の得点数が増えて、チームに貢献できていると思えるようになったんです」
好きな漫画『ジョジョの奇妙な冒険』のジョセフ・ジョースターのように、試合の中で駆け引きをする余裕が生まれたのも、進歩のひとつだ。
「ミドルブロッカーは相手セッターとの駆け引きも重要なんですけど、これまではなかなかできなくて。去年あたりから少しずつ、セッターの動きを見ながら試しています。あえてレフト側に寄っておいて、ライトにトスを上げさせて思いっきりブロックに行ったり。まだまだですけど、思い通りにハマったときはすごく快感です」
これまでずっと「淡々と」プレーをしてきたという山内さん。試合中に感情を表に出すようになったのも同じ頃からだそう。得点を決めた時も決められた時も、自分とチームを鼓舞するように、大きく吠える。
「これまではミスしたら、『うわ~』って思っていたのが『次は絶対決めてやる!』って。バスケをやっていた時もおとなしかったので(笑)、こういう気持ちになったのは初めてだと思う」
全日本男子の中垣内祐一監督は、山内さんのそうした進化を認め、期待を込めてこう言う。「闘争心を出してプレーできるようになったのは、自信の裏返しでしょう。身長だけでなく器用でスピードもある選手。もっと気迫を全面に出して、クイックとブロック、サーブで相手に脅威を与える存在になってほしい」
2年後の東京オリンピックのことは、いつも頭にある。今年からスタメンに定着して、すべてにおいてレベルを上げてオリンピックに臨みたいと、抱負を語ってくれた。
「自分より身長が高い選手は海外にはたくさんいる。サーブの打点を高くして、スパイクのレンジを広げ、ブロックの駆け引きも磨いていかないと。日の丸を背負う覚悟はできています。チームメイトや応援してくれるお客さんに『やっぱり山内だな』って認められる存在になりたい。そのうえで勝つ。それがオリンピックの目標です」