激しい思い込みで2、3年スランプにハマった
――いままでの競技人生を通じ、集中しすぎて周りが見えなくなりそうな瞬間って何度かありましたか。
それはやっぱりたくさんありますね。「このトレーニングは絶対だ」と思って突っ走って、ある日パッと我に返る、とか。思い込みが強いタイプなんです。必ずしも悪いかと言うと、それが良い方向にハマれば良かったりする。何かに対してのめり込んで、周囲が見えなくなることのメリット、デメリットってあるんです。自分自身が狂信的になってしまう。盲目的になってしまって、それでこれが絶対正しいんだ、って言いながら、2、3年間スランプにハマっていった時期があったんです。ハッと我に返って、「今までの自分は何をしていたんだろう」って気分になる。
――それはいつ頃のことでしたか。競技人生でいくつもハイライトがあったとは思うのですが。
大学1、2、3年生ですね。当時有名なトレーニングがあって、それ自体が良い悪いじゃないのですが、「初動負荷」というトレーニングでした。多くの方々が実践されていますけれど、僕の問題は「これが全てを解決するんだ」と思い込み過ぎて、全部それだけで説明しようとした。本当に不思議なんですけど、そうとしか見えなくなる。あれが仮に新興宗教だったら、僕の人生はたぶんそっちに行っていたと思うんですけど。たまたまトレーニングだったので、途中でハッと我に返った。我に返ったというか、「いくつかの選択肢の一つ」として客観的に見ることができるようになった瞬間があったんです。
あれから、思い込む人間は、客観的に見るとシュールで笑えるけれど、自分がそうなった時にそれに気付く手段はないことを知り、すごく興味深く思うようになりました。我に返る手法ってない。我に返りまくっていたら、競技の世界では戦えない。競技の世界ではある程度没頭しないと。いっぽうで、そのままいき過ぎて、「逸れていくこと」と、「逸れていかないこと」の判断はどう区別をつければよいのか。自分の「こっち側」の風景しか見えていない人間は、どう自分の風景を見ればいいのか。自分の風景ばかり見ている人間はパフォーマンスが出ない。どうバランスを取るのか、すごく考え続けました。のめり込みやすいタイプだったんで、行ったり来たりしていたと思います。
――法政大の陸上部って他大学に比べ比較的、学生の自由度があると聞きます。そういう環境にあってもやはり……。
いや、そういう環境「だからこそ」ですね。誰かが、思い込んでいる人間がいても、その人に変にタッチしたら攻撃される。思い込んでしまった人間、精神的におかしくなった人間は腫れ物になるわけです。自分で我に返るしかない。権威あるクラブの場合、勿論そこに対して狂信的になることはあり得ますが、おかしいと思うことがあれば皆で解決できます。それが、一人だけでハマり込んでいったパターンは、難しい。
その時のシンプルな心理状態としては、「もう自分は正解を見つけた。皆はまだ正解を知らない。このことが分からないのって、なんて皆バカなんだ」。このロジックって他の介入の余地がないんですね。
――自分のなかで完結してしまう。
はい。そんな感じでしたね。トレーニングに関すると急にそのモードになる。でも、ある時に、うまくいかなかったのもあるんですけど、モーリス・グリーン(男子100mの元世界記録保持者)の動きを見ながら、インストラクターが「ああいう動きが理想だよね」って言った時、「山頂にたどる道は他にあるんだ」って気づいた。その時に、急に冷静になったんです。「この道しかない」と思っていたことが、「他にも山頂に至る道はいろいろあるじゃん」ということを知った。それで急に、これまで持っていた教則本を全部捨てたんです。
――でも、そんなふうに過去の自分の思考体系をぱっと捨てることができる、というのも大事。
まあ、そうですよね。でも、そういう自分って何なんだろうとは思います。きっと僕は、頭の中であった出来事に興味があるんでしょうね。いま、お話しながら気づきましたけど。
子どもたちに、わかる言葉で伝えたい
――そんな頭の切り替えの仕方は、2019年12月のシンポジウム「朝日教育会議」に為末さんが登壇された時に主張されていた、「特徴は場所によって短所にも長所にもなる」という考え方にも活きている気がします。その時の発言にも呼応した言葉が、為末さんの書いた児童書『生き抜くチカラ』に散りばめられていますね。為末さんにとって児童書は。
初めての出版です。1年前に企画が持ち上がりました。もともと、私の好きな本のジャンルって2つあるんです。1つは、ずっとファクトを並べて来て、大きなアイディアを説明する本。たとえば『流れとかたち: 万物のデザインを決める新たな物理法則』という本があります。この本では、「世の中のかたちは流れから決まっている」と述べています。学術的に正しいかどうかはともあれ、ファクトを並べて説明するのが面白い。
――説得力が生まれますよね。
もう1つは、主観的な人生で、自分は体験的にこういうふうにモノを見てきた、ってことがひたすら書かれている本。何の反論もできない、ひたすら主観的な世界。この2つの本のジャンルがずっと好きだったんです。後者側の本って、じつは大人も子どもも変わらずに読むことができるのではって思っていました。なぜなら自分の人生がそうだったから。だけど子どもにはこの世界がまだ分からないよね、というものがあるんじゃないか。「直球ど真ん中」を子どもに対して投げたいな、と思っていたんです。
子どもに分かる言葉、表現方法にしないといけない、というのはあるんですけど、自分の言葉としては子どもにはとても届かないという気がしていたんです。それが、絵本という形でやればできるかも。そんな感じで企画が進みました。
――「失敗は『すべて』ではなく、成功への道のりの『一部』」という言葉に始まり、50の言葉が並んでいます。
僕は言葉が好きなんです。表現することが好き。言葉に掲げた思いについて、競技者で似たようなことを感じている選手は多いと思うんですけど、それを言葉にする選手は少ないと思うんです。陸上という競技は、現実をあまり変えられない競技です。いくらやってもタイムが変わらない。僕は現役人生最後の11年間、自分のベストタイムが出ないで引退している。見方によっては11年間、現実を変えられなかった。そうすると認識以外に変えられるものがない。どう捉え方を変えていくか、ということを試行錯誤していくなかで、いろいろな言葉が生まれていく。こう捉えようとか、このように考えてみようということが生まれていきました。そんな言葉を伝えたいと思っています。
――今回出版された日本図書センターは、「こども孫氏の兵法」「メシが食える大人になる!よのなかルールブック」などを刊行してきました。共通しているのは、子供向けだけれど、じつは大人が読んでもためになる。生きにくさを感じている、あらゆる人へのメッセージとなり得る本が多いこと。今回もそのような印象を抱きましたが、背後の親世代を意識して書いたのでしょうか。
そうですね。一緒に見ながら考えたり、「ふんふん、なるほどね」、ってやってくれたりするようになると良いなと思います。あくまで僕の人生の主観的な世界。「このように捉えてやってきましたけれど、どうですかね?」って話なんですね。いずれにしても、きっかけがあると、いろんな捉え方ができるんじゃないかと思います。
あとは、ちょっと時代的な背景を言うと、現代は、自分で何かを決めなきゃいけない、人生を選ばなければいけない苦しさがあると思うんですね。
――人生を選ばなきゃいけない?
昔はある種、「リコメンド社会」だったと思うんです。だいたいこういうパフォーマンスを出せば、あなたにはこの人生です、っていうのがリコメンドされてきた。それに従って大学に入ったり、会社に入ったり。じつは多様性がそんなにない中で、いくつかの中から選んできた。少なくとも「起業」というアイディアは非常に稀だったし、「国籍を変える」というのも稀でした。企業、官僚。その程度の選択肢のなかで生きていたと思うんです。Amazonのレコメンドが何パターンかあって、「どれにしますか?」という社会。
ところがこれから先は、あまりにもダイバーシティが出てきて、自分で自分の人生の軸を決め、しかもリコメンドされているものが生きている間になくなってしまうかも知れない。「すみません、入ろうと思っていた会社、潰れました」「終身雇用も無くなりました」という社会。何を軸にして生きれば良いのだろう。初めて軸が必要になってきた。その軸は結局、親からは授けられないものなので、自分で考えて、「自分の人生はこれが大事なことなんじゃないか」とか、「こういう時にはこう柔軟にやっていくべきじゃないか」とか。そういうモノの考え方の「型」、を伝えたいと思いました。
――人生の先輩の「型」を学ぶことによって、子どもたちが自由に、しなやかに生きていくコツを自分で考えていくのですね。
そういうのが重要視されているんじゃないかと思います。伝えたいことはあるけれど、何を、どう伝えたら良いのか。そういう親御さんにも手に取ってもらえればと思います。僕自身もまだ41歳。子どもたちに負けないように、もっと楽しんでいろいろ挑戦していきたいと思っています。