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滝沢カレンの「人間椅子」の一歩先へ

撮影:斎藤卓行

ある美人作家に届いた、見知らぬ人からの一通の手紙により生活が一変した。
それは暑い暑い夏の昼下がりだった。

美人作家の高吉紀子(のりこ)は今日も締め切りに追われていた。滴る汗を、今にも穴のあきそうなうちわでひたすら扇ぐ。そんな中、郵便屋さんの声で玄関に走る。

「こんな暑い中ご苦労さん」と軽く挨拶を交わし、手紙を一枚一枚見ていくと、「湯崎敏夫」という名の見ず知らずの男からの手紙だった。
古びた封筒に、大きく力強く「奥様へ」と書かれた手紙だった。
紀子は婚期を逃した40歳の独り身だったため、「?」と思いながらも、何故か指先が流れるように封筒を開けていた。

その一通から、ある物語は始まるのだった。

「奥様へ お元気にしているでしょうか?
突然のお手紙でさぞかしおどろいてる事でしょう。

私は、旦那様と仲良くさせて頂いていました、船長の湯崎敏夫という者です。
今回航海を共にしておりました。
旦那様には大変お世話になりました。

実は、奥様には旦那様の行方を嵐の波に飲まれたと言いましたが・・・・・・
本当は違う事をお伝えするべく今回はお手紙を出しました。

本当は旦那様の行方は不明です。
ある日、大西洋航海中、嵐に飲まれそうになったとき、旦那様にお伝えしなくてはと部屋に行った際には旦那様の姿は見当たらず。
そこには日本語とはいえない暗号のような紙が置いてありました。

私共のほうで全力を尽くしましたが、謎は解き明かされないまま、
こんなに月日が経ってしまってからのご報告になったことをお詫び申し上げます。

湯崎敏夫」

という、全く理解不能な手紙だった。
紀子は何の話だか訳も分からず、住所を間違えたのじゃないかと思ったが、なぜか気を許せない気持ちになり、手紙を見つめ返した。

すると、短冊のように足元に落ちてきたのは、暗号が書かれた例の紙だった。
紀子にとっては、子供の落書きにしか見えなかった。
そこには、大きなサメのような体に人間の顔が書かれており、なんだか不気味な絵だった。

紀子は思わず身体に広がる鳥肌を感じ、いてもたってもいられず机の下に手紙ごとしまった。

こんな手紙すらとどいたことを忘れ、月日は流れて秋になった。
その日は朝から空が怒るように雷がなり、強気な雨が地面を打ちつけていた。
紀子は雨漏りの始末に追われ、いつも通り原稿の締め切りを過ぎて焦っていた。

ふと、紀子は夏に届いた奇妙な手紙を思い出す。
「あの手紙はどこにしまったかしら?」
そんな些細な気持ちが抑えきれなくなり、手紙を引き出しの奥から見つけ出し開いてみた。

相変わらず奇妙な手紙だなと暗号の紙を裏返した瞬間、ゾッとした。
そこには以前は書かれてなかったはずの場所に、「見つけてほしい」と力のない字力で書いてあったのだ。
紀子は触れてはいけない扉をあけてしまったような気持ちになったと同時に、なぜか放っておけない気持ちになった。

そして紀子は吸い込まれるように、大西洋に向かった。
有り金を握りしめ、右も左も分からないがとにかく大西洋に行かなくてはいけない気持ちはとまらなかった。
紀子はめんどくさがり屋でまぁいいかという言葉が口癖なくらい適当に生きていた性格だったが、この「旦那様」という人物を助けに行かなくてはという使命感に襲われたのだ。

そしてフロリダ半島まで行き船を出してもらうために、現地ではいろんな漁師に頼み込んだ。憎くも嵐の日だったためみんなが船を出すのを嫌がった。
そりゃそうか、日を改めよう、と胸を落ちつかせ諦めかけた時、小屋にひとりの80歳を超えた漁師が海に向かって遠くを見つめていた。

紀子はなぜか初めて会った感覚ではない気持ちを味わった。
でも明らかに40数年生きてきて会ったことはないはずの人間だ。
そんな不思議な感覚を持ちながら、またもや身体が勝手にその老人の方へと引き寄せられ、思わず聞いてみた。

「すみません、大西洋で人を探しています。船を出してくれませんか?」
自分でも何を言ってるんだと思いながらも、口から勝手に言葉たちが出しゃばっていた。

老人は紀子を見つめると、ハッとした表情をひそかに感じさせ、優しい目になり「こんな嵐の日に船を出せという人なんて、生きていてあんたが2人目だよ。こんな嵐の中見つかるかね。でも君は困っているんだろう? 力になるよ」と言ってくれた。

紀子は深く内容を気にもせず、やったぁ! 海へ出れる!と気持ちの高鳴りを喜んだ。

雨風は海の沖まで出るとどんどんひどくなった。船は今にも風でひっくり返りそうな中、踏ん張りながらどうにか進んでいた。
紀子には、大西洋のどこにその「旦那」と呼ばれる人がいるのか、本当に存在するのかさえ検討もつかない中、何故か強い意志がそこにあり、明らかに進む方を老人に示していた。

すると老人の口から、さらに衝撃的な言葉を聞かされるのだった。
「ここから先はバミューダトライアングルの海域だ。ここでは数々の魔の伝説があるんじゃよ。嵐の中ここに来たのは生きてて二回目じゃ。もうあんな事には二度としたくない・・・・・・。引き上げよう」
老人は意味深な言葉を弱そうに言った。

過去に何があったかと気になる気もしたが、それよりもこの先に行けない悔しさが収まらない。
だが老人が指差した方向には、見たこともない薄暗い空に、巨大な雲が次々と終わりの知らない渦を巻いており、明らかに空気や世界が違っていた。
まるで紀子と老人を追い返すような壮大な迫力だった。

嵐でびしょ濡れだった。それでもこの感情を抑えきれない紀子は、その巨大な雲がうごめく方向を指差し、「私だけでもいい! どうにか行けないですか?! あそこに『旦那』が待っているの!!!!!」。
つい言葉が走る。

紀子も思わず口を塞いで自分の発言に驚いた。結婚もしたことなければ、恋人だっていない紀子だが、自然と「旦那」の存在を意識していたのだ。

すると老人は、「っ!!!!」。
ギョッとした目でこちらを見て近付いて言った。
「君だ!君があそこでいなくなった女性なんだ!」と。

雨風の轟音で今にもかき消されそうな声だったが、紀子にはハッキリと聞こえた。

そう、今から60年前。
老人がまだ20歳の青年だったころ、ある社員旅行で来ていた団体が、バミューダ海域に行くツアーに申し込んでいた。そのツアー会社の息子がこの老人だった。

その団体客は、海に出てバミューダトライアングルに差し掛かる寸前で嵐に遭遇してしまい、急いで岸に引き戻したが、戻ると不思議なことに「旦那」と呼ばれる男だけが消えていた。
皆恐ろしくなり、これは嵐のせいだと決めつけて捜索はしなかった。
一部では、魔のバミューダ海域で違う世界に連れていかれたんじゃないかなど憶測も続いた。

数ヶ月して、ひとりの40代の女性がその青年(今の老人)の前に現れた。
青年が今日と同じく嵐の海を見ていた時だった。女性は涙目になりながら、走ってきたのか息をゼィゼィ言わせながら、「旦那を探しています。船を出してください」と、紀子と同じ言葉を放った。

優しい青年は、無我夢中になり、誰にも言わずに家族が持っている小さな船を海に出してしまった。
女性が指示する方へ船を漕いでいくと、みるみる空の色が怪しげな場所が一際目立っていた。

青年は恐ろしくなり、帰ろうと女性を促したが、「一人で行かせてください!旦那が待っているのっ!!!」と、雨にも風にも負けない感情がそこにはあった。

まさに、紀子と同じ言葉だった。

それから60年が経ち、紀子が同じ場所にいる。
老人は今でもその記憶はハッキリ覚えているという。

その女性はというと、帰ろうと言った青年を振りほどき、浮輪を片手に海の中に飛び込み泳いで、その海域に消えていった。たしかに最後まで泳ぎながら、暗闇に消えていった。
青年が岸まで戻り助けを呼んだ時には、もう女性は海底にも近くの島にもいなかった。

老人は言った。
「悔やんでも悔やみきれない過去だが、きっとその女性は『旦那』にどうしても会いたかったに違いない。愛する『旦那』の為に身を削っても一緒の道に進みたかったはずだ」と。

紀子を無理やり岸に返して、小屋まで無事に戻ってきた老人は紀子にそう言った。だが、紀子の気持ちは違っていた。
もはや、紀子という身体に別の人格のようだった。老人にガバッと目を見開き、鋭い目つきで言った。
「違うわ。あの時『旦那』に会えなかったから、生まれ変わってまた探しにきたのよ」

絵:岡田千晶
絵:岡田千晶

紀子は、「旦那」という名の男を愛した女の生まれ変わりだった。
「旦那」に会えなかった無念の気持ちを捨てきれず、紀子として生まれてきたのだ。紀子は40年間恋愛もしなかったのは、どこがで自分が生まれた使命を守っていたからだ。ジッと前世の「旦那」を探す日を、紀子の身体で待っていたのだ。

ジッと待つ紀子の姿を人は、いびつな椅子のようだと言いだした。その噂はたちまち広まり、やがて紀子は座ったままミイラとなってしまった。
人はそれを「人間椅子」と呼んだ。

そして数百年後、数万年後と、何度生まれ変わっても、「旦那」に巡り会うことはなかった。

これが魔のバミューダ海域の伝説なのだ。

(編集部より)本当はこんな物語です!

 美しい閨秀作家のもとに届いた封書。その中には原稿用紙を綴った紙束が入っていました。表題も署名もなく、突然「奥様、」という呼びかけで始まる文章の先には、醜い容貌を持った男の告白がしたためられていたのです。

 腕のいい椅子職人だった男はあるとき、「安楽(コンフォート)」という言葉をそのまま形にしたような、座り心地抜群の椅子を作り出します。あまりの美しさに、男はこの椅子にどこまでもついていきたいと妄想を抱き、椅子の中をくりぬいて、入ってしまうのです。

 椅子のなかで、男は別の快楽をみいだします。次々と腰をかける老若男女の肉体の個性を革一枚で感じ取れる不思議な感触! やがて、触覚と聴覚とわずかな嗅覚をもとにした「椅子の中の恋」に惑溺することになるのです。椅子職人の告白がなぜ作家のもとに送られたのかは小説をお読みいただくとして、カレンさんの物語の主人公・紀子といい、乱歩の主人公の椅子職人といい、恋は人を盲目ならぬ「椅子」にしてしまうものなのでしょうか……。