「3大悲劇」と紹介 人間性への深い問い
最近出版された英語の研究書「エミリー・ブロンテと新幹線に乗る:日本における『嵐が丘』」の中で、著者のジュディス・パスコー氏は、戦前、東京大学で教え、戦後に日本中を講演して回ったイギリス人の謎めいた批評家エドマンド・ブランデン(1896~1974)について語っている。
1920年代にブランデンは、英文学の3大悲劇は「リア王」と「白鯨」と「嵐が丘」であると言った。日本風の3大庭園、3大名所などに合わせた、いくらか奇妙な宣言だった。
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英米では現在「3大悲劇」という考え方をほとんどしないが、少なくとも「リア王」と「白鯨」なら、まあ納得のいく選択だと言えよう。「リア王」は確かに英語圏の偉大なる作者によって書かれた素晴らしい劇に数えられるし、「白鯨」も英語圏における最良の小説であると言える。
しかし「嵐が丘」? 確かに面白く、特徴のある小説だと思う人も多いだろうが、「最も偉大なる悲劇」と考える人は少ないのではないか。例えば、ジョン・ミルトンの「失楽園」、チャールズ・ディケンズの「荒涼館」、ジョゼフ・コンラッドの「闇の奥」、スコット・フィッツジェラルドの「グレート・ギャツビー」と他に候補はいくらでもある。
にもかかわらず、ブランデンがそう宣言したことで「嵐が丘」は日本で大変な人気を博すことになった。すでに20回以上も日本語に翻訳され、宝塚の劇にもなり、ベストセラーの漫画やドラマや映画にもなった。河野多恵子氏は「嵐が丘」の戯曲を作り、水村美苗氏は2002年の「本格小説」を「嵐が丘」に基づいて書いた。
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「リア王」は、年を取り堕(お)ちていく権力者の悲劇であり、「白鯨」は一番熱望するものをどうしても捕らえられない悲劇である。では「嵐が丘」は何の悲劇であろうか? それは、無難に皆の言うことに従うか、それとも奔放で理不尽な欲望に身を任すか、の間で身を引き裂かれるという悲劇である。これらの小説は深い人間性や永遠の問いを明らかにしようとしていると言えよう。
私は考えた。もし日本文学で「3大悲劇」を選ぶなら? おそらく「源氏物語」と、夏目漱石の作品のどれか、たぶん「こころ」あたりを選ばなければならないだろう。しかし3作目は何か? 三島由紀夫の大作「豊饒(ほうじょう)の海」、あるいは樋口一葉の短編「たけくらべ」? それとも太宰治の「人間失格」、遠藤周作の「沈黙」か?
たった一人の人間が「3大悲劇」として選んだだけで、その作品が全く違う文化圏で、このように永続して強い影響を持つことを想像してみるのは面白い。
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今日、河野多恵子氏や富岡多恵子氏、水村美苗氏がしたように、イギリス北部のハワースという小さい町にあるブロンテ姉妹の家を訪れると、道やB&B(民宿)の窓にある看板が日本語で書かれているので、日本人観光客が多いのがわかる。これを見たら、ブランデン本人ですら、1世紀も前の自分の批評の影響が今も続いていることにきっと驚くだろう。=朝日新聞2018年8月22日掲載