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「七味」が思い出せない 鴻上尚史

  食についてのエッセーを引き受けたのはいいのですが、はたと困惑してしまいました。
 じつは、今まで食についてのエッセーを書いたことがないのです。もう20年以上、週刊誌に連載を続けていますが、一度も「食べ物」を話題にしたことがありません。
 亡くなられた江戸風俗研究家の杉浦日向子さんに、江戸時代、庶民は除夜の鐘を聞きながら「七味(ひちみ)、五悦(ごえつ)、三会(さんえ)」を家族で話し合ったと教えてもらいました。この一年間、初めて食べる美味(おい)しいものが七つ、楽しかったことが五つ、新しい出会いが三人いれば、「今年はいい年だったねえ」と喜び合うのです。
 このエピソードを聞いて以来、僕は毎年、密(ひそ)かに「七味、五悦、三会」を振り返ります。仕事柄、「三会」は経験できることが多いです。「五悦」も考えようで、「あれは結局、最終的には楽しかったんじゃないだろうか」まで入れると、クリアします。
 ところが、「七味」になると、はたと記憶が途切れるのです。絶対に、仕事上の接待なんかで、美味しいものを食べているはずなのに、思い出せないのです。
 食に興味がないわけではないと思います。美味しいものを食べれば嬉(うれ)しいし、不味(まず)いものを食べると悲しい気持ちになります。
 僕は芝居の演出をしていて、たまにテレビに出演したりしますから、「弁当率」が人生の中でとても高いです。
 テレビ局に入れば、収録時間がお昼とか夜とかをまたいでいれば、弁当が出ます。もう、三十年以上、食べ続けています。劇場に入れば、外に食べに行く時間がないので、制作側が用意してくれた弁当を食べます。うかうかしてると、一週間、昼と夜が全部、仕出し弁当ということもあります。
 そうなると、だんだん、食欲がなくなってきます。
 どんなに美味しいお弁当でも(制作側は気を遣ってくれて、いろんなお弁当屋さんに変えるのですが)、何日も続くとさすがに悲しい気持ちになってきます。
 一度、知り合いの映画監督が、お弁当を用意した制作の人に、「あ、俺、おばあちゃんの遺言で、弁当は食べちゃいけないんだ」と言って、スタスタと近くのラーメン屋さんに入っていくのを見ました。次の日は「宗教上の理由でお弁当は食べられないんだ」でした。映画監督も、撮影に入ると、一カ月、お弁当が続いたりするので、気持ちはよく分かりました。=朝日新聞2018年9月1日掲載