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鮭と「さいぼし」 長野ヒデ子

 絵本の取材で出会った口福はいろいろある。柴田愛子さんの保育施設「りんごの木」の子どもが魚を食べる絵本『さかなださかなだ』を創ったとき、本場から鮭(サケ)を取り寄せ描きたいと根室市図書館の紹介で根室漁協に頼んだ。電話に出た組合長が「男っぷりのいい鮭かい? 女っぷりのいい鮭かい?」と聞くのでビックリ! そして誇らしげに「漁は命がけ。とっさの判断力がないと漁師はできん!」と。組合長はテニスの大坂なおみ選手のおじいちゃん(?)と後で知った! とっさの判断力。なるほど。

 届いた鮭はカップルで2匹。でも絵本に描いたのは1匹。ふふふ、絵本の鮭は、どっちだ? 鮭はおいしく、子どもたちは目玉も食べた。

 それから取材で食べためずらしい馬肉の燻製(くんせい)「さいぼし」も書きたい。大阪の富田林に住む吉田一子さんをモデルに識字絵本を創った。そこで初めて食べたのが「さいぼし」だ。

 吉田さんは2歳のとき母親を亡くし、7歳から子守に出され学校に通えず、文字が読めず書けなかった。幸せな結婚をされてお子さんもお孫さんも授かったが、文字が読めないのでいろいろな困難に遭われ差別も受けた。
 お孫さんが「おばあちゃん絵本読んで」と言っても「目が悪いんじゃ。読めへん」と嘘(うそ)ついた。お孫さんも1年生になり学校で文字を習うと「おばあちゃんは目が悪いんじゃない、文字が読めへんのだ。僕も字をなろうてる、おばあちゃんもなろうたら?」と促され、識字学級に通い文字を獲得した。

 なぜ文字を習えなかったか。私は取材に通ううち、人権の歴史の中にあることを知り、差別がいかに愚かなものであるかを思い知らされた。
 吉田さんはNHK「ETV特集」でも取り上げられた。吉田さんたちと親戚のように親しくなり、飲むと肴(さかな)は「さいぼし」だ!

 命を無駄なく全ていただき、差別の歴史の中で食べられてきた「さいぼし」は今では人気のジャーキー。高級食品で実においしいのだ。絵本作家仲間のスズキコージさんにお裾分けしたら「最高だ! さいぼしで飲むと酒がうまい! ♪踊りたくなるよ~」と踊った。

 今回の事故で前歯が無いから食べられない? いーえ、治ったら食べるぞ!
 2年前亡くなられた吉田さんを偲(しの)ぶ会も「さいぼし」を肴に飲んだ。吉田さんは生前「自分の子どもの名前は間違わずに書けるようになりたい。好きな字は『母』」と、鉛筆を握りしめて言われた。

 「さいぼし」は私の心に大事なものを教えてくれた「口福」なのだ。
 思いもよらぬ出会いから珍しい食べ物をいただき、食べ物から人が生きてきた歴史が沢山(たくさん)あることを学んだ。=朝日新聞2021年3月13日掲載