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胃袋の柔軟性が低いのだ! 鴻上尚史

 食に関するエッセーを書いてこなかったのは、「大食漢じゃない」ということも関係があるかもしれない。
 よく使う稽古場の近くに定食屋さんがあった。美味(おい)しい味付けなので、よく利用した。そのうち、そこの女将(おかみ)さんが僕のことに気付いた。そして、「はい、サービス」と言って、ごはんを大盛りにしてくれるようになった。
 じつにありがたいのだが、正直に言えば、とても困る。
 僕の胃袋は、柔軟性が低い。「お腹(なか)一杯だけど、まだ入ります」という状態にならない。
 体育会系のモリモリ青春君とか、大食い選手権に出ている人達みたいに、なんで、胃袋がどーんと広がらないのかと思う。思うんだけど、広がらない。
 歳(とし)も関係あるのだろう。
 子供時代、祖母の家に行くと、とにかく「これ食え。あれ食え。どんと食え」といろんなものを出された。で、子供なりにその期待に応えた。子供の頃は、まだ胃袋は柔軟だったのだろう。
 なおかつ後先考えずに食い続けられた。食べ過ぎて苦しくて寝込んでも人生はなんとかなった。でも、大人になるとそうはいかないのだ。
 稽古の途中の夕食休憩なのだ。食べ過ぎて夜の稽古中止、なんてことは大人は言えないのだ。
 なので、大盛りのごはんは残したい。でも、これは定食屋の女将さんの善意なのだ。目の前で女将さんが微笑(ほほえ)んでいる。必死になって大盛りのどんぶり飯をかき込む。
 何回かそんなことがあるうちに、女将さんは、おかずも一品、サービスしてくれるようになった。
 話だけ聞けば、ありがたいことだ。でも、さんま定食を頼んで、冷や奴(やっこ)を追加したのに、ポテトサラダがさらにきて、ごはんは大盛りだ。
 もう無理だ。胃壁が悲鳴を上げる声が具体的に聞こえてくる。
 そんな時は断ればいいとあなたは思うだろうか? でも、目の前には、にこにこと微笑む女将さんがいるのだ。善意なのだ。思いやりなのだ。サービスなのだ。そんな人に、「あ、これ、無理です」と言えるか? 君は言えるのか? そもそも、君は祖母の「食え食え攻撃」を撃破できたか?
 気がつけば、夕食は修行というか苦行というか戦いの場になっていた。
 そして、僕の足は定食屋さんから遠のいた。美味しかったのに。サービスしてくれたのに。これを悲劇と言わずして、何を悲劇と呼ぼう。
 大盛りにすることではなく、一品増やすことでもなく、食事で愛やサービスを伝える方法はないのだろうかと考える。日本旅館の「こんな量、食べれるわけないだろ!」夕食を見る時も、同じことを思う。=朝日新聞2018年9月22日掲載