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「あなた」書評 沖縄の市民の戦後史あぶり出す

評者: 佐伯一麦 / 朝⽇新聞掲載:2018年10月27日
あなた 著者:大城立裕 出版社:新潮社 ジャンル:小説

ISBN: 9784103740070
発売⽇: 2018/08/31
サイズ: 20cm/235p

あなたを見守り、そして見送るなかで、ともに過した夫婦の時間は、行きつ戻りつしながら、私の胸にさらに深く刻まれた…。沖縄に生きる日々を綴る小説集。『新潮』掲載を単行本化。【…

あなた [著]大城立裕

 著者は長く、沖縄の歴史、民俗に根ざしたフィクションとしての小説を執筆してきた。それが、前著『レールの向こう』で初めて私小説を手がけることとなり、本書もまたその延長線上に書かれた中短篇6作を収めている。
 私小説といっても、単なる私的経験や感傷にとどまるものではない。もっとも長い作の「あなた」は、1954年に見合いで結婚し、60年以上連れ添った亡き妻への呼びかけの形を取っているものの、淡々と事実が語られてゆく回想は、自ずから沖縄の一般市民の戦後史をあぶり出す。
 「私」は久留米で胆嚢炎の手術を受けるが、沖縄では健康保険がなかったために800ドルの借金をし、入院で使い切ってしまう。妻の「あなた」は、洗濯機を買わずに〈せっせと盥に手洗いの手を動かして〉、借金を返す目標を立てる。それだけで、〈一所懸命やるわ〉という結婚時の誓いを守って生きた女性の姿が髣髴と浮かぶかのようだ。
 その姿を描くのに、内助の功などという常套語ではなく、〈あなたのご苦労〉というような感謝の念のこもった言葉が夫から発せられる。こうした夫婦の関係に惹かれる若い読者も多いことだろう。一方で、ドル切り替えや日本復帰前後の状況、沖縄で初めて芥川賞を受賞した「カクテル・パーティー」や琉球新報に連載された『小説琉球処分』などについての執筆事情も、貴重な記録となっている。
 作者はこの9月に93歳となったが、健筆ぶりはもとより、〈行く、行く、と僕はためらいもせずに答えた。山羊をつけるとは聞いたことがあるが、見たことはない。興味が湧いた〉と、「御嶽の少年」に見られるういういしさの表現には、心底驚嘆させられる。
 作者はかつて芥川賞の受賞の言葉に、〈ゆっくり落ち着いて、沖縄というやつ(つまり私)を書いていきたい〉と述べていた。そうした沖縄=私の表現が結実した作品集である。
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 おおしろ・たつひろ 1925年生まれ。作家。『対馬丸』『日の果てから』『かがやける荒野』『普天間よ』など。

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