性と暴力と不条理の世界描く
すべての虚無に。エピグラフにこの一文を置いた。中村文則さんの新刊『その先の道に消える』(朝日新聞出版)は語り手の視点を変えながら、性と暴力と不条理に満ちた世界を描く。大胆な連想で日本社会の根源に触れようとするミステリー仕立ての長編だ。
刑事の「僕」が現場に駆けつけると、男が殺されていた。男は緊縛師。部屋に残されていた手帳には複数の名刺が挟まれていて、その一つに「僕」を捨てた彼女の名前が書かれていた。彼女への消えない思いが、「僕」を逸脱へと導いてゆく。
「緊縛とは、ある意味女性を強く抱きしめること」「女は縛られながら何かを解放していた」という小説の表現は、取材に基づく。ショーを見て、話を聞き、歴史をひもとき、実際に自分で試みもした。ゴミ出し時の縛り方がちょっと変わったとか。江戸期の捕縄術を読んでいると、「日本人には縛ることへの執着があった」と感じたという。
「緊縛の世界は奥が深く、これは純文学だと思いました。悪も善になり、苦痛も快楽になる。被虐と加虐、すべてが逆転する。善と悪の境界線を書いていた人間にとっては、いいところにたどり着いた、と」
殺された緊縛師の男は手記を残していた。保守思想を深めてゆく過程が克明に記されている。麻縄から神社のしめ縄、神道から保守へ、神話へ連想はつながり、天皇へと思いが煎じ詰められてゆく。日本人はどこから来たのか。「古事記」や「日本書紀」を手に取り、「吐瀉物(としゃぶつ)や糞尿(ふんにょう)からも神が生まれる世界を信じろと?」と男は動揺する。
保守や右翼思想を語り手にする手法は、全体主義が進行するディストピア小説『R帝国』(中央公論新社、2017年)でも試みていた。保守の思想を「自分」という一人称で掘り下げることで「書きながらひざまずく快楽を覚えた」という。それは緊縛にも通じる。「問答無用にひざまずくところに、人間は快楽を覚える。現実がどうでも、自分はこうであってほしいと願う気持ちがあるのだろう」
『R帝国』や、カルトとテロを扱った2014年の『教団X』(集英社文庫)では、作品に時代や社会を色濃く投影させた。「これだけ世の中が右傾化して、愚かな言説が蔓延(まんえん)する社会において、オブラートに包む文学では弱いと思っている。強い言葉、直接的な表現で一石を投じたい。文学には可能性があると思う。今の時代でなければ、今回の小説も生まれていなかった。危うい時代にできた小説であることは間違いない」(中村真理子)=朝日新聞2018年10月31日掲載