『人喰観音』(早川書房)は、ホラー小説界期待の星・篠たまきのデビュー第2作である。インパクト抜群のタイトルに惹かれて手を伸ばし、大いに納得した。なるほど、確かに「観音」が「人を喰う」話であった。
薬種問屋の長男である蒼一郎は生まれつき病気がちで、離れ屋敷で隠居生活を送っている。ある日、川原を歩いていた蒼一郎は水辺に打ち上げられた若い女を見つけ、自宅に連れ帰った。上流の村でスイと呼ばれていたその女には、人の心を見透かす不思議な力があり、「生き神様」と崇められていたらしい。記憶をなくしたスイと、芸術家肌の蒼一郎の秘められた同居生活。それは「肉食」という当時では珍しかった行為によって、より妖しいものへと変化してゆく。
黒髪を撫でるとスイがまたやんわりと微笑んで、そしてそっと蒼一郎の足元に跪いた。
「お肉を食べるのは、汚らわしくないの」
「当たり前だ。汚らわしいわけがない」
艶を増した唇が上下に割れて、その中から赤い舌が垂れ下がる。紅色の蛇に似たくねりを見せながら、舌が脚に巻かれた馬肉をぺろりと嘗めた。
「お肉、食べても許されるのね」(「隠居屋敷」)
こうしたやり取りを経て、スイが生の馬肉にかじりつく姿がなんとも蠱惑的な「隠居屋敷」はじめ、背徳の行為にふける男女を奉公人の視点で描いた「飴色聖母」、ある姉妹の確執がもたらす悲劇を扱った「白濁病棟」「藍色御殿」と、全4話からなる連作小説集だ。いつまでも老いることなく美しさを保ち続けるスイと、彼女に魅了され「宿主」となった男女の人生が、舞台をさまざまに移しながら綴られてゆく。
300ページ弱のこの物語で反復されるのは、グロテスクな「人喰」の光景だ。口もとを血に染め、生肉をくちゃくちゃと咀嚼するスイ。そこには恐怖と背中合わせのエロティックな恍惚があり、現実の出来事というより、どこか悪夢の一場面を思わせる。おぞましいシーンを描きながらも決して下品にならず、むしろ美しさと神々しさすら感じさせる著者の筆力は、すでに新人離れしたものだ。
京極夏彦らに称賛されたデビュー作『やみ窓』は、孤独な女性のマンションのベランダがふいに異界に通じてしまう、という怪奇幻想小説だった。日常空間に現れた「異質なもの」によって、人間が惑わされ、その本性を露わにしてゆくのは本書も同様である。
スイは時間を超えて生き続ける不死者だが、社会に害をなすヴァンパイアやゾンビではない。それを「生き神様」「観音」と崇め、一方で怪物とさげすむのはあくまで人間たちなのである。聖なる存在の没落を描いたともいえる『人喰観音』の世界は、恐ろしくもどこかもの哀しい。
タイトル同様、ブックデザインもインパクト満点。朱色のカバーに包まれた、悪夢の宝箱のようなホラー小説である。秋の夜長にじっくりとお楽しみいただきたい。