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ヘボくて最高にクール! 「マッピー」「FF」…懐かしきゲームドット絵の創り手に迫る「ゲームドット絵の匠」

ユウラボさんの手掛けたニンテンドー3DS用RPG「フェアルーン2」のゲーム中のマップ画面 ©SKIPMORE URARA-WORKS Flyhigh Works

自身も「ポケモン」開発会社でドット絵描く

――本書は日本のテレビゲームの黎明期から今に至るまで、有名タイトルのドット絵を手掛けてきたクリエイターたちに当時の苦労や開発秘話を聞いています。彼らに着目したきっかけは何ですか?

 この本の出版社が1980年代のファミコンブームについて紹介するサイトを立ち上げることになり、コンテンツの1つとして企画したのが本書の元になったインタビューです。あの頃すごいグラフィックを描いていたグラフィッカー、ドッターと呼ばれる人たちに焦点を当てたかったのです。

――インタビューを担当したとみさわさんは現在、書評や映画評、ゲームシナリオといったライターの仕事に加えて古書店「マニタ書房」も運営されています。ただ、以前はゲームクリエイターも長く経験していますね。

 実は僕もドット絵を描いていたことがあるんです。「ポケットモンスター」シリーズの開発会社、ゲームフリークに所属していたときに(本書にも登場するゲームクリエイター)杉森建さんのもとで描いてました。

 うまい人はドット絵を一発でパパっと描けますが、僕はそんなにうまくなかった。でもPCでポチポチとドットを直していくのが楽しかった。僕はゲーム制作に携わる前は製図屋としてバイクの図面とかを引いていたのです。だから線がかっちりしている幾何学的な物が好きだった。ドット絵は製図につながる部分も大きいですね。インタビューする上で、ドット絵のクリエイターたちの気持ちを僕なら共有できると思ったのです。

――ファミコンの往年の名作をプレイできるゲーム機「ミニファミコン」がヒットするなど今もドット絵は話題に上ってはいます。しかし、なぜ今ドット絵にこだわるのですか?

 単純に僕がドット絵を今も好きだからです。今のゲームの主流はドット絵でなく3Dグラフィック。でも僕はゲームに長く関わってきた人間のくせにプレステ4も持っていないし、3DのCGのゲームはそもそもあまり好きじゃない。年寄りだから。やはりゲームに一番燃えたのはドット絵の時代でしたから。すごいドット絵を描いてた人たちの苦労話を書きたかったのです。

「ノスタルジーでは終わらせたくない」

 一方でこの本がノスタルジーだけで終わってはいけないとも考えました。あくまで今につながるものにしたかった。そこで、今もドット絵を使ったゲーム制作で活躍するユウラボさん(自主製作ゲームスタジオ「スキップモア」運営)をインタビューしました。彼はまだ40歳過ぎで本書の中では若い人ですが、今もドット絵を愛していてファミコンライクなゲームを意識的に作り続けている。

 ユウラボさんの存在で、いまドット絵をテーマに据えた本書が「立体的」になると思ったのです。ドット絵のレジェンドたちの中にユウラボさんが入っていなければ、ただの懐かしい本になったかもしれません。ネットで連載中もTwitterで読者の反応を見ていましたが、僕の意図を汲んでくれる人は多かったですね。

――一方で往年の名作を手掛けた巨匠も登場します。通称「Mr.ドットマン」の小野浩さんは、1983年発表の「ゼビウス」から、今も派生作品が出続けている「アイドルマスター」に至るまで、作品の知名度と多さに驚きます。他にも強烈な職人技と個性を持った人ばかりですね。

 サイトで連載していた時に最も反響が大きかったのが小野さんです。ナムコの「マッピー」「ギャラガ」「ギャラクシアン」……。名作中の名作を描いてきた人。当時を知るファンからTwitterで反応が多かったようですね。今は独立してドット絵アーティストとして活躍しています。

「FF」ドット絵師は自分ではゲームしない!?

 スクウェア・エニックスの渋谷員子さんも大反響でした。あの「ファイナルファンタジー」のドット絵師です。彼女は(本来平面の)ドット絵を描く際、頭の中で3Dのモデルのようなものが出来上がっているそうです。それを回転させることでドット絵の“裏側”を思い浮かべて描くことができる。超人の話を聞いているようでしたね。

 この渋谷さんが「自分ではゲームをやらない」という話にも驚きました。ゲームクリエイターが入社当時はゲームをやらなかったけれども徐々にやるようになったというのはまだ分かる話ですが、彼女は今もやらないんです。徹底しているなあと。ゲーム業界の人はたいてい、飯よりゲームの方が好きなタイプばかりなのに。

――渋谷さんの話はベンチャー企業とその若き社員が成長していく、みずみずしい青春ストーリーとしても読めました。

 渋谷さんがスクウェア(当時)に入社したばかりのときはこの会社もできたばかりでした。彼女と会社の成長がイコールだったんです。「Mr.ドットマン」小野さんもゲームフリークの杉森さんも、そこにいた僕の場合もそうでした。世の中にファミコンというものができたときに仕事をしていた人たちは、誰からも作り方を学べず自分たちで試行錯誤していた。それがドット絵の歴史なんです。そういう部分がうまく出るといいなと心掛けてインタビューしましたね。

 そして皆さん、基本的に今も現役です。出世して管理職になった人も多いけれど、相変わらず現場でもちょこちょこと活動している人が少なくない。この本は思い出話なんかじゃない。皆さん、昔と地続きで現在もドット絵に取り組んでいる。

――一方で今では隔世の感があるエピソードも多いですね。ゲーム業界が就活生に不人気だったとかちょっと信じられません。

 この本でもインタビューした、「少年ジャンプ」のキャラのゲーム化に携わった中里尚義さん(現Luminous Productions所属)は、美大を出てゲームの仕事を手掛けていると言うと同級生にバカにされたそうです。私も昔、アスキーのゲーム雑誌「ファミコン通信」(現ファミ通)でアイドルにゲームをやってもらう企画を考えた際、芸能事務所に電話をかけて媒体名を名乗ったら「知らないな」って言われました。部数を告げて初めて「めちゃくちゃ(部数が)出てる雑誌ですね!」とOKが下りた。

 その後、今やゲーム産業は人気業界になりました。今や任天堂も人気企業になったし、ゲームフリークの会社説明会には多くの学生が「自分もポケモンを作りたい!」と来るそうです。

「プレステ」登場で3Dが主流に

――ゲーム業界やゲームそのものは今も人気ですが、グラフィックの主流はあくまで3Dなど細かく美麗なものです。ドット絵がゲームの一線から消えたきっかけは何だったのでしょうか。

 1994年の「プレイステーション」の登場でゲーム業界は一気に変わりました。3DのCGのゲームがたくさん出たのです。結果としてドット絵が「廃れた」とも言えますが、当時のクリエイターの考え方は前向きでしたね。いちゲームクリエイターとして考えれば、3D空間で(キャラクターを)動かすことができる。それはドット絵ではなかなかできなかったことです。

 わかりやすいのが格闘ゲーム「ストリートファイターⅡ」ですね。(ファミコンやスーファミでは)2次元の「紙芝居」の中で戦っていた。でも、(3Dの格闘ゲーム)「バーチャファイター」では本当に3D空間の中で人間が殴り合ったりぶんなげたり、本当に戦ってるように見えるようになった。それは間違いなくゲームが1段階進化したということです。ゲームクリエイターとしてはドット絵どころじゃなかった。

 3Dの技術に飛びついてゲームを進化させていった当時のクリエイターたちは絶対に正しかった。テレビゲームを前に推し進めていったわけですから。逆に僕はそれでもドット絵にこだわり続けた。いわば化石みたいな人間なんでしょうね。

――しかし、本書でも小野さんが、ドット絵専門の展示会に出品して大盛況だったりと世間のドット絵熱は衰えていません。ファミコンやスーファミ時代を知らない若い世代も増えた中、注目が集まるのはなぜだと思いますか。

 レトロ趣味はありますよね。昭和歌謡もブームになったりすることがある。CG全盛の時代にドット絵で遊ぶのはまさにレトロ。こんなにドット絵が受けているのは単純にレトロ趣味の部分が大きいのでしょう。

「苦肉の策」が生んだ技術

 でも理由はそれだけじゃないと思います。ドット絵はある種苦肉の策の技術でもある。今ほどコンピュータが発達しておらず、8×8(のピクセル量)でしかゲームを表現できない時代に1ドットずつ打っていけば人や車の形になった。真円を描くのは難しいが、真四角でも綺麗に動かせておけば(ゲーム中では)円に見えるというような工夫で、何とかゲームができていたのです。

 今のゲームの技術ならボールも真ん丸に描けるし、なんなら縫い目だって表現できる。でも、ドット4つを使って大きい正方形を描くだけでボールに見えるぞ、という割り切りが僕にとっては当時も今も面白い。そしてこんな昔のヘボいボールも面白いよねと思ってくれる人が、往年のファンだけでなく若者にもいるわけです。ユウラボさんから聞いたのですが、(PCゲームを購入しダウンロードできる海外サイト)「Steam」にも海外産のドット絵のゲームがたくさん売られているんですよ。

――今ほどゲームの容量や使える技術がふんだんになかった時代に描かれたドット絵には、確かに制限が生んだ一種の機能美すら感じます。

 これはよく知られた話ですが、「マリオブラザーズ」でなぜマリオがオーバーオールと赤いシャツなのかというと、ズボンとシャツの色が違うと腕を振ってる様子が分かりやすくなるからです。ヒゲを生やしているのも左右のどちらを向いてるのかが分かりやすいため。背景の空に浮かんでる雲と木は同じドットを使ってます。雲は白色、木は緑だけれどフォルムは同じ。いずれも少ないドットで表現する工夫です。でもプレイしていても全然気にならないですよね。こういう話って僕は大好きだなぁ。

――実際にプロのドット絵師はどうやって工夫しているのですか。

 たとえば8×8ドット(の容量)しか使えないゲームで「国」という漢字を書こうとしたら、多分書けないでしょう。最低でも何ドットいるかな(と、実際に紙に書き出す)。ほら、最低でも(一辺当たり)9ドットの面積がないと「国」は表現できないわけです。

 でもファミコンのころに8×8のドットで「国」を書いてる人がいるわけです。たとえば僕なら(部首の)「国構え」と(中に入っている)「玉」の漢字の間の隙間をくっつけちゃっても遠目で見れば「国」に見えるよ、と考える。映画館の字幕の文字も、実は正確に書かれてないんですよ。漢字は書く数が多いから正確に書くとつぶれるため、画数を減らす工夫がなされている。ドットにも(一見不正確でも)遠目に見れば判別できる、という工夫がいっぱいある。

「忘れ去れた技術じゃない」

――若いゲームユーザーやクリエイター志望の人に、どうすればこうしたドット絵の魅力や大切さがもっと伝わると思いますか。

 うーん、今の若いの人に受けそうなテーマというと、「モンスト」や「パズドラ」といったソーシャルゲームじゃないかな。後はゲーム実況してる人のインタビュー集とかは読まれそうですよね。今回のインタビュー連載も、Twitter上では往年のゲームを知る世代からの反響が大きかったと思います。

 ただ、ドット絵は決して忘れ去られた技術ではないんです。永遠にゲームのグラフィック表現の基本であり続けると思う。今の3Dのゲームだってドット絵が使われてないわけじゃない。ポリゴンに張り付けるテクスチャはドットで描いてたりしていますし。

 例えば、「ファミコンジャンプ」に出てくる「シティーハンター」の主人公、冴羽獠は、(ゲーム上の)フォルムは成人男性の顔でしかない。漫画的特徴がないんです。「ドラゴンボール」の孫悟空ならあの髪形で判別できますが、こちらはそういった漫画的特徴がない。(原作者の)北条司先生の画力でイラストでは冴羽獠だと分かるけれど、ドット絵にしちゃうとただの男性の顔になってしまう。

――本書でも結局どうやって冴羽獠を表現できたのか分からない、ドット絵技術の深淵を垣間見たエピソードでした。

 今なら(イラストの)原画をスキャンで取り込んで色数を調整すればそれらしく見えますが、最終的には手作業が必要になる。こうしたドットの技術がある人でなければうまく修正できないでしょうね。さまざまなツールが発達したためゲームは作りやすくなりましたが、ドット絵のような基本技術を知る必要はあります。

 ゲームの専門学校の人と話すと、先生方も苦労してるそうです。基礎技術をちゃんと学んでおけば開発環境が変わっても役に立つのに、学生は最新技術ばかり学びたがる。今自分が遊んでいるゲームを作りたいわけです。現場に出れば基礎が必要と分かるものですが、学生は夢や理想しか見てないことが多い。今のゲームクリエイターにとってドット絵のような基礎の勉強は、全く損な物ではないはずなのに。

いろいろな物に見える「無限の可能性」

――最後にドット絵の魅力の本質とは何だと思いますか?

 例えば歌舞伎は背景が書割だからいいんです。リアルな景色になっちゃったら何か違う。馬だって中に人が入っているモノが出てくるのが味わい深いのであって、本物のウマを出しては駄目でしょう。歌舞伎と同様、ドット絵にもゲームにおける様式美のような良さがあると思います。

 そもそもドット絵は3Dなどより表現力で劣る描画手法です。でも逆に考えると無限の可能性がある。グラフィックが荒いからいろんな物に見える。白一色で人の姿を描けば、男にも女にも警察にも泥棒にも、自分自身にも見えるようになる。グラフィックが発達した今は男女や警察・泥棒の描き分けもできるようになった。それはいいことだけれど、僕はつまらないとも思う。

 コナミの「グーニーズ」(ファミコン版は1986年発売)は当時バカ売れしましたが、あの(今見れば)ヘボい8×10くらいのドット絵が主人公のマイキーに見えたわけです。プレイヤーにとって想像できる魅力がある。レゴだってスターウォーズとかのリアルな専用パーツのキットより、子どもたちが普通のパーツで「ミレニアム・ファルコン」を再現しようとするのが楽しいですよね。ドット絵の良さとは、よく言えばそういう想像の余地を残している点にあるのです。

 ドット絵のゲームが今後、全盛期を迎えることはないと思いますが、無くなることもないはず。レトロなだけでなくこうした普遍的な魅力を持つからです。それはゲームやコンピュータがどれだけ進化しても必要なものなのではないでしょうか。