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太い背骨 米澤穂信さんが思春期に出会ったゲーム「タクティクスオウガ」

PSP用にリメイクされた「タクティクスオウガ 運命の輪」©1995, 2010 SQUARE ENIX CO., LTD. All Rights Reserved.

 小学二年の頃でしたか親戚の結婚式がありまして、久しぶりに従兄弟たちに会える機会だと当日を楽しみにしていたのですが、日程の都合で参列するにはどうしても学校を休まなくてはならないことがわかり、いま思えば別に休んでもいいようなものですが、当時の私は結婚式の方を諦めてひとり留守番することを選びました。その日のおみやげとして、私に買い与えられたのが、ファミリーコンピュータでした。

 ゲームも好きだったのですが、より好きだったのは、説明書に書かれた数行の「ストーリー」の欄を読むことでした。テレビの中の彼らはなぜ冒険に赴くのか、それを知るのが好きだったので、「テニス」や「ゴルフ」などストーリーのないゲームにはあまり興味を示しませんで、「バルーンファイト」や「アイスクライマー」といったお話があるのかないのかよくわからないゲームを遊ぶときには、自分で彼らの物語を夢想して補完していたのです。

 教室の話題が「ドラゴンクエストⅡ」でもちきりだったころ、なぜか私は「ファイナルファンタジーⅡ」を選びました。文章で物語が描かれるゲームに接したのは、おそらくこれが初めてだったかと思います。子供心にこのお話は「スター・ウォーズ」だなと思ったのですが、それがなぜだったかと言えば、なんのことはない「皇帝」が出てくるお話をこの二つぐらいしか知らなかったからでしょう。ですがこの直感はどうやら当たっていたようですから、子供のまぐれもそう捨てたものではありません。

 さまざまなゲームを遊び、小説や漫画や映画に触れるうち、私は次第にゲームのお話がどこから来ているのかということを気にするようになりました。物語はひとの頭で考え出すものですが、生き物が親から生まれるように、物語にもルーツがあることに気づいたからです。

 たとえば、「バイオハザード」はゾンビに満ちた洋館を探索するゲームです。ゾンビは一般にブードゥー教が発祥だと言われていますが、さらに遡れば、世界中で語られる不死者への恐れ、もっと言えば生前埋葬への恐怖が背景にあるでしょう。洋館を探索するというコンセプトの源流がファミリーコンピュータで発売された「スウィートホーム」にあることは各種インタビューなどで明らかにされていますし、その「スウィートホーム」の原作は、呪われた洋館を舞台としたホラー映画です。怨霊に祟られた屋敷で怪異が起こる映画の発祥をどこに求めるかは映画に詳しい方のご意見を待ちますが、いわゆる幽霊屋敷の物語は洋の東西を問わず語り継がれています。そうした、どこまでも辿れる物語のエッセンスを無数に呑み込んで作られたゲームには、確固とした背骨がある。その背骨はゲームをより面白く、味わい深く、強靱なものにするのです。

 なにしろゲームはクリアまで数十時間かかるものが多いですから、ずいぶんゆっくりとお話を描く時間があります。「幻想水滸伝Ⅱ」とマイケル・ムアコック、「エターナルアルカディア」と大航海時代の歴史、「シャドウハーツ」とクトゥルフ神話、「ファミコン探偵倶楽部」と横溝正史、「バイオショック」とアイン・ランド、「ゴッド・オブ・ウォー」と親殺しのモチーフ……。様々なゲームに織り込まれた、様々な物語のエッセンスを見ることが好きでした。分析と咀嚼が足りず浅薄な模倣に終わってしまったゲーム、有名な過去作品への目配せがかえって嫌らしいゲームにもいくつか出会いましたが、過去から受け継がれてきたエッセンスを巧みに操り、他では見られない独自の物語を生み出したゲームを遊ぶこともできました。お話はこうでなくてはならない、と学んだことも一度や二度ではありません。

 中でも特に思い出深いのは「タクティクスオウガ」です。ユーゴスラヴィア紛争を縦軸に、貴種流離譚を横軸に置き、両者の交点に戦争の終結を配置した物語には、とても太い背骨がありました。もし、ゲームを作る人々がゲームだけにしか源流を持たなかったのであれば、こうした作品群は決して生まれなかったでしょう。

 最近は何かと多用で、ゲームをすることも減りました。それでも少しは遊ぶことがありますし……そうですね、このあいだ、とあるゲームの記録で日本人ランキングの一位になりました。
 発売直後でプレイヤーが少なかっただけなんですけどね!