旅と酒を詠んだ短歌で知られる近代歌人、若山牧水(1885~1928)。清冽(せいれつ)な詩情をたたえた歌は今なお愛されるが、その多くが実は、男女関係の苦悩を「フルコース」で味わわされた若き日の恋愛から生まれたものだという。歌人、俵万智さんの評伝『牧水の恋』(文芸春秋)は、愛をうたう者同士の感性で「試練の恋」の真相に迫った一冊だ。
《幾山河越えさり行かば寂しさの終(は)てなむ国ぞ今日も旅ゆく》
漂泊の旅愁がにじむような代表作だが、実はある女性の故郷を訪ねる途上で詠んだ恋の歌なのだという。「この歌に限らず、牧水と聞いて思い浮かぶほとんどが、一人の女性との恋愛から生まれたものです」
その女性の名は小枝子。早稲田大学の学生だった牧水は、友人が相手の親に反対されて失恋したと聞き、その親を説得しようと神戸まで乗り込む。そこで偶然出会ったのが、年上の美しい女性、小枝子だった。
たちまちのぼせ上がった牧水は「恋! 恋! 面白い道具だ」と友人に書き送るほど。だが、小枝子は子のある人妻だった。そうとは知らぬ牧水は、上京した彼女と行き来するようになり、やがて愛欲の深みへとはまり込んでゆく。
評伝を書くにあたり、取材で伝記的事実を積み上げる以上に、一首一首を丁寧に読み込むことを大切にした。「短歌は事実をそのまま詠んだとは限りません。でも、歌が生まれるのは心が揺れた時。歌の出発点となった心の動きは、きっとあったはずだから」
《山を見よ山に日は照る海を見よ海に日は照るいざ唇(くち)を君》
2人が初めて結ばれた房総半島の根本海岸で詠んだ一首。恋の成就を祝うファンファーレが天から聞こえてきそうだが、1年後には一転、こんな歌を友人への手紙に記している。
《山死にき海また死にて音もなし若かりし日の恋のあめつち》
やがて知ることとなった、夫と子の存在。だが生活力のない牧水には、状況を打開することもままならない。そこに小枝子とその甥(おい)の間の疑惑も持ち上がり、世慣れぬ身には重すぎる苦悩を抱え込むことに。
「『気づくのは何故(なぜ)か女の役目にて 愛だけで人(ひと)生きてゆけない』。小枝子はそんな心境だったのかも」と俵さん。引用したのは、280万部のベストセラーとなった第1歌集『サラダ記念日』(1987年)の中の一首だ。
敬愛する歌人の心の揺れ 感性で迫る
執筆のため牧水の歌を改めて読み込むうち、「デビューしたころの自分が、思った以上に影響を受けていたことに気づきました。自分の中に、伏流水のように流れていたんだなあと」。
《山奥にひとり獣の死ぬるよりさびしからずや恋の終りは》
出会いは、高校生の時に手にした歌集。ちょうど失恋で落ち込んでいたところで、「えんえんと出てくる失恋の歌に共感した」という。進学した早稲田大で、後に師事する歌人佐佐木幸綱さんの講義を受け、この代表作を鑑賞したことが短歌の魅力に引き込まれるきっかけとなった。
《白鳥(しらとり)は哀(かな)しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ》
俵さんにとって、短歌の世界への水先案内人ともなった牧水。2016年、そんな敬愛する歌人の故郷である宮崎県に移住。「今やらなければ、一生書けない」と、文芸誌に1年連載して書き上げた。
試練の恋が終わりを迎えた時、牧水はこんな歌を詠んでいる。
《海底(うなぞこ)に眼(め)のなき魚(うを)の棲(す)むといふ眼の無き魚の恋しかりけり》
「シンプルに見えて、人生の元手のかかった歌」と俵さん。牧水の歌には「幾山河……」のように詠み手の意図を超えて、「読む人が自分の人生を投影できる普遍性がある」とも。
「奥行きのある歌が詠めたのは、たくさん苦労した下地があったから。牧水の恋は、一つですべての感情を味わった恋。恋は数じゃないなあと思います」(上原佳久)=朝日新聞2018年11月14日掲載