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ユーチューバー・藤原麻里菜さんインタビュー「好きを貫くには稼ぐしかない」

文・加賀直樹 写真:斉藤順子

――じつは僕、深夜バラエティ番組「月曜から夜ふかし」(日本テレビ系)で、初めて藤原さんの存在を知ったんです。恋愛にまつわる「無駄マシーン」が、いくつか紹介されていましたね。

 あ、ありがとうございます。

――「福士蒼汰」と名前の付いた男性マネキンが、ミニ四駆に引っ張られ藤原さんに近づいていき、「壁ドン」をしてくれる装置。それから、電動仕掛けの手首のマネキンが、まるでキスする直前みたいに藤原さんの顎を「アゴクイ」してくれる装置。極め付きは、道行く男性の目を惹きつける、「歩くたびにおっぱいが大きくなるマシーン」。あの時間でしたから僕、酔っ払いながら見ていたんですが、腰を抜かすほどビックリしました。

 靴に空気入れがついており、足踏みするたびに空気入れの先にある胸につけた風船が膨らみ、おっぱいが大きくなるといった仕組みのものです。放送直後は、Twitterのフォロワーがスワイプするたびに増えていくほど反響がありました。私が出演した時間は、ほんの数分。でも、「無駄づくり」の切り取り方をすごく面白くしてくれたおかげで、大反響となりました。

歩くたびにおっぱいが大きくなるマシーン(撮影・佐藤麻優子)
歩くたびにおっぱいが大きくなるマシーン(撮影・佐藤麻優子)

小学生のときに「2ちゃんねる」を見ていた

――バカバカしい、の一言で済まされない何かを、「夜ふかし」を見て感じました。ただ、番組では、ちょっと「こじらせ系女子」的な扱われ具合だった。「エキセントリックな人」という印象を受けたんです。ところが、この本を拝読してみたら、藤原さんって、けっしてそんな人ではないですよね。社会のなかに生きづらさを感じつつも、緻密にマーケティングがなされ、冷静に、客観的に、自分自身を見つめている人なのだと思い直しました。それにしても、いったい、これまでどんな人生を送ってこられたのか。

 そうですね、子どもの頃は鬱屈でした。思春期になってくると、だんだん他人と比べたりして、劣等感が生まれちゃうじゃないですか。で、そういうものに気づかないフリをしているのもストレスだった。けっこう私、ネットを始めたのが早くて、小学校高学年ぐらいで自分専用のパソコンを買ってもらい、ネットをやっていたんです。電子掲示板「2ちゃんねる」とか。

――藤原さんの世代で「2ちゃんねらー」とは、だいぶ早いネットデビューですよね。

 ネットって、自分のなかにある卑しい心が満たされる場所だと思うんですよ。人と比べて「オレのほうがすごい」と言えたり、「オレはこんなこと知っているぜ」と言えたりする。人間のダメな部分を満たしやすいんです、現実よりも。そういうのに触れるのが早かったので、変に内観的になっちゃって、自分の厭なところばかり気づいちゃうのが早かったかも知れないですね。

――当時、「2ちゃん」ではどんなスレッドを見ていたのですか。

 オカルト版ですね。ドキドキしながら初めて書き込んだら「お前、半年ROMれ」って返信がきました。空気を読めない発言とかしちゃうと、「お前は発言すんな」みたいな意味です。そういうのに触れていました。ちなみに、純粋なのでちゃんと半年ROMりました。

――「ROMる」。電子掲示板などで、自らは投稿をせずに、他の参加者のコメントやメッセージを読むだけにしておけ、と。日のあたる道だけを歩いてきた者たちには到底分かり得ない雰囲気。

 ネットには「『モテないこと』を面白可笑しく日記にして書いた」とか、そういうテレビなどでは見られないコンテンツがネットにはあったんです。今思うと、そういうのに触れるのが早かったなあとは思いますね。なので、自分のなかにある「ダメなところ」に気づいて、面白くしようみたいな気持ちは当時からありました。

――ネットという世界のありようを、わりと小さい頃から会得していたのですね。そのうえ、中学生時代に絵画や音楽など、いろんな趣味を一通りやってみたんですよね。

 そうですね。絵は、なんか才能あると思っていて。でも、描いてみたらすごくヘタで。自分が思っているよりもヘタだったんですよ。「全然描けねえな」って諦めました。

――どんな絵だったのですか。

 模写も描きましたし、抽象画みたいなものも描きました。でも、全然うまくいかなくて。

彫刻で「好きな人を、好き過ぎるあまり、その人を作る」

――音楽。当時は何が流行っていたのだろう。楽器は演奏していたんですか。

 エレキギターとベース、ピアノをやっていました。あとは、シンセサイザーやドラムマシーンを使って曲をつくっていました。高校2年生の時、「Myspace」っていう音楽SNSがあったんですけど、そこに自作曲をアップして、外国人と触れ合っていました。でも、もう1曲つくろうとか、練習して上手くなろうとか、そういったモチベーションは上がらずに辞めちゃいましたね。

――彫刻にもチャレンジしたんですよね。

 17、18歳ぐらいの時に。彫刻にはちょっとハマりました。頭の中にあるものを一番うまく具現化しやすかったんです。すごい気持ち悪い話なんですけど、その時すっごい好きな人がいて、好き過ぎるあまり、その人を作ろうと思って始めました。

――「好き過ぎるあまり、その人を作る」。日本語として初めて耳にしたかも知れない表現です。

 その人がいつも、頭を抱えているポーズをしていたので、それをモチーフに作り始めました。モデルがいるから頭の中には完成形が見えているけれど、全然うまくいかなくて。でも、うまくいかない過程も楽しかったです。

――好きな人の彫刻。でも、うまくつくれない。

それでも、最終的にはわりとイイ感じになりました。今でも持ってます。

――その人にプレゼントしたりとかは?

 (笑って)そこまで気持ち悪くないです。

コンテンツは評価する人がいて成り立つもの

――2013年に「無駄づくり」というYouTubeチャンネルを開設してから、5年。チャンネル登録者数は今や6万人を超え、Twitterのフォロワー数も4万人。連載を月5本抱える超多忙な人生を送る藤原さん。「無駄なものをつくる」という創作にかける意義とは、どんなものなのでしょうか。

 高校卒業後、お笑い芸人を目指してよしもとの芸人養成所(NSC)に1年通いました。そこで初めて作ったネタを披露したときに、「ネガティブさが面白い」と言われたんです。でも、お笑い芸人として舞台に立ったら、びっくりするほどウケなくて……。そんなときに、ユーチューバーになるためのオーディションをやるので、企画を考えろと言われたのが、そもそもの始まりです。当時は週に5個、今では週に1個はつくるようにしています。

「無駄なものを作る」という緩やかな制限があることで面白い発想が浮かぶ。また、わざともう一段階上の制限を設ける時もある。たとえば「SNSの悩みを解決する『無駄づくり』」「恋愛に関する『無駄づくり』」などと、考える枠を狭めることで、それまで思いつかなかったことを生み出すことができるのだ。 「無駄なことを続けるために」から

 生き方に繋がってくる話なんですけど、自分、けっこう、気まぐれな性格なので、「無駄づくり」は好きですけど、毎日やれ、と言われたら、嫌なんです。

――連載もいっぱい抱えておられますし。

 でも、web連載なので、決まって絶対に出さなきゃいけないわけでもなく。雑誌とかだったらページ数とかがあるので、絶対出さないとヤバいですけど。webは別に落としても、許してもらえるというか。

――この5年で創作の中身に変遷は?

 コンテンツというのは、評価する人、視聴者がいて成り立つものだと思っています。誰も分からないような、つまんないものを上げちゃっても意味がないんです。最初は試行錯誤したんですけど、もう5年も続けているので、「これはウケないだろうな」とか想像できるようになりました。「ウケないけど、こうすればウケるかな」みたいなのも分かってきたんです。

バカと怖さが混ざった、シーンとした静けさ

――どんな瞬間に思い浮かぶものなんですか。たとえば「はい、じゃあ、今から思い浮かべよう!」って時間を決めているのでしょうか。

 基本的には、思い付いた時に携帯にメモして、それを後で見返すって感じです。でも、締め切りとかもあるし。さっき「締め切り守んなくても良い」って言っちゃいましたけど、出さないとお金がもらえないので、そのために頑張って、思いつこうとする時もありますね。ずっと「無駄づくり」のことは考えちゃいますね。話していても、Twitterとか見てても、なんか、パッと思いつく時はけっこうあります。

――想像が湧いて仕方ない時、逆に湧かなくて困る時、そんな「波」ってあるんですか。

 ありますねー。思いつかない、思いついても全然面白くない時とかはすごく悩みます。 

――ネットで大きな反響を呼んだだけでなく、最近は各地で個展も開催していますね。

 「無駄づくり」が面白いのって、「シーンとしたところ」かなと思っているんです。……何だろう、なんかその、そこにちょっと「怖さ」を感じられるかなと思っています。物のコンセプト自体はバカなんですけど、それを目の前に置いて動く姿を見ると、少し怖さみたいなのが感じられるんです。そのバカと怖さが混ざった、シーンとした静けさや間が面白さを引き出せるポイントかなと思っています。「無駄づくり」の映像を撮って編集する時も、現場はこんなに面白かったのに映像になるとイマイチだなと思う時があって。そこらへんを思い出しながら展示に生かしました。

――「この装置はリアル個展向きだな」とか、「これは映像向きだな」とか、カテゴライズもできるようになったのですね。そして2018年6月には、台湾・台北でも個展を開催しましたね。

 「無駄づくり」って日本文化のバックボーンがないとウケないと思っていたんですけど、そういう壁も、映像やキャプションで補うことで、海外の方にも面白がってもらうことができました。それはひとつの発見でしたね。

――この本は、そうした「無駄装置」ストーリーと両軸で、「稼ぐ」という話が一つのキーワードになっていますね。

 私は「クリエイターは絶対に、自分の好きなことを専業にして、お金を稼ぐべきだ」などとは思っていないんです。ただ、私は、会社のような平日決まった場所に毎日行くのがしんどくて。人間関係もそうで、ずっと同じ人といられないんです。そういう自分のダメな性格に気付いていました。だから、「無駄づくり」をお金にしていこうと思ったんです。

――「好きなことで生きていく。好きを貫くには稼ぐしかない」という。

 みんな、好きなことがあると思うんですけど、自分であんまり納得しないままに進んで行っちゃう。人生って、中学から高校、高校から大学、専門学校、就職と、あんまり考える暇がなくお金を稼ぐ道に行っちゃう。私も最初そうでした。何も考えずに芸人になるって言って、芸人になってバイトしながらやって、あんまり考えずにお金を稼いでいた。

他人気にせず「あんまり考えずにモノをやろう」

――それではなく、自分の道を行こうと。

好きなこととか、自分の性格とか、仕事とか、そういうのを1回考えて、納得したうえでお金を稼ぐっていうのが好きなことで生きていくことなのかな、とは思います。

――しかも昔と違って、ネットという媒体があることで、実現しやすい、夢を叶えやすい素地はできつつありますよね。

 どうですかね。ネットが発展することで、稼ぐ選択肢は広がっているとは思います。でも、すべての道に再現性はないので、それぞれが自分の理想や性格とあったやり方を見つけるしかないです。私の話だけではなく、本の最終章に、「それぞれの稼ぎ方」と題し、他の自己表現をしている人たちに「どうやって食べていっているのか」を取材して回っています。

――作家、アーティスト、ライター。彼らの話を聞いて、気づいたこと、自分に欠けていた視点とは。

 ここで取材した中の、ある方は、会社の中で自分の好きなプロジェクトを立ち上げてやっていらっしゃるんです。私だったら自分の作ったものが会社の物になるなんて嫌なので、独立してやっちゃうだろうなあと思いました。でも、その方は、自分の好きなことを大きくするために、会社の中のプロジェクトとして始めたそうです。自分にはまったくない視点でした。

「答えが出ない問題をたくさん考えてしまう私たち。答えが出ないよね、ということを共有する場が必要だったのかもしれない。」――同書から

――余裕なき社会を生きる人たちが、「無駄装置」や連載を見た時、人生の選択肢って、もうちょっと別のところにもあるよ、って気づかせてくれる。なんだか肩のこわばりが和らぐ。そんなところが人気の理由かなと、改めて強く思いました。読者やフォロワーたちに、一言をかけるとすれば。

 「あんまり考えずにモノをやろう」。ネットを見ちゃうと、他人の意見がすごくいっぱい、分かってしまいます。例えば「パクリは絶対ダメ」とか。確かにパクリはダメですが、人の真似から始まることもあると思うので一概には言えないことです。全く知らない人たちの意見が流れてきて、それにけっこう縛られちゃうことって、現代ってわりと問題なのかな、と思います。あんまりそういうのを考えずにやると、いろいろとラクに抜ける気がしますね、問題から。

――気にしない、と思っても、つい見ちゃうじゃないですか。どう折り合いをつければいいですか。

 私は、そういう意見が流れてきた時は「お前は誰だ!」って画面に向かって言っています。「お前は誰なんだ。名を名乗れ!」って言いますね。

――怒鳴るんだ。そうか、そうやって処世していけばいいのか。

 ほんと、フォロワーが100ぐらいしかいないような人が過激なことを言って、1万リツイートとかされているじゃないですか。そして、不思議とそういうのって心に残って、自分の行動を制限させてくるんです。

――どんな人だろうと思って見てみたら、なんだコイツ、こんな狭いところで生きているのか、って。

そうです。だから、「あんまり考えずにモノをやろう」。そう皆さんに伝えたいですね。