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「物語ること」の魔力あふれる物語 森見登美彦「熱帯」など4冊

文:朝宮運河

 森見登美彦『熱帯』(文藝春秋)には驚かされた。「幻の本をめぐる、大いなる追跡」とのコピーに心惹かれ、「我ながら呆れるような怪作である」という著者の言葉に背中を押されて手を伸ばしたが、いやはや、これが予想をはるかに上まわる大傑作。寝食を忘れて、丸一日読み耽ってしまった。
 主人公の「私」は学生時代、京都の古書店で『熱帯』と題された本を購入する。南洋の孤島に流れ着いた男の奇妙な冒険物語だったが、読み終えるよりも早く、その本は忽然と部屋から姿を消していた。成人し、作家となった「私」は、都内で開かれていた読書会に参加。そこで『熱帯』を手にした白石さんという女性と巡り会う。彼女は「この本を最後まで読んだ人はいないんです」と謎めいた言葉を発して、『熱帯』にまつわる長い物語をし始めた。
 作品は何重もの入れ子構造になっており、「私」の話に白石さんの話が、その中には池内氏という男性の話が含まれている。しかも池内氏の話には『熱帯』の作者である佐山尚一が登場して、『熱帯』さながらの冒険をくり広げるのだ。読み進むうちに、今読んでいるのが森見登美彦の『熱帯』なのか、佐山尚一の『熱帯』なのか分からなくなってくる。夢野久作『ドグラ・マグラ』を彷彿させる、迷宮的奇書といえよう。「不可視の群島」や神出鬼没の古書店など、現れては消えるイメージも魅力的。『千一夜物語』の世界を下敷きに、「物語ること」の根源に迫った、著者のひとつの到達点である。

 『熱帯』の興奮冷めやらぬままに読んだのが、『言葉人形 ジェフリー・フォード短篇傑作選』(東京創元社)。フォードは日本でも根強いファンをもつ現代アメリカの幻想作家だ。言葉によって生まれた架空の友人、夢を見る風、珊瑚の心臓など、妖しくも美しいイメージを巧みな語り口で作品化した13編。その多くがやはり、物語ることをテーマにしているのが興味深い。
 たとえば「ファンタジー作家の助手」では、一心不乱に異世界ファンタジーを書き続ける中年作家と、その手伝いをすることになった少女メアリーが、物語の世界を介して心を通わせる。それまで下らないと感じていたファンタジーの住人が、メアリーの中で生き生きと動き始めるシーンは、なんともいえず感動的。「〈熱帯〉の一夜」という作品が収められていたのも、愉快な偶然だった。

 『メアリー・スーを殺して 幻夢コレクション』(朝日文庫)は乙一、中田永一、山白朝子、越前魔太郎という4作家の短編を収めたアンソロジー。東日本大震災を背景に生まれた感涙のゴースト・ストーリー「トランシーバー」や、人間楽器という奇抜なアイデアに惹きつけられる「エヴァ・マリー・クロス」など、怪奇幻想ファンには見逃せない作品が並ぶ。
 表題作「メアリー・スーを殺して」の主人公は、高校入学を機に、小説の執筆にのめり込む。その作品にはいつも作者の自己愛を投影したキャラクター、いわゆるメアリー・スーが登場していた。そう気づいた主人公は、メアリー・スーを殺すことを決意する。物語ることの魔力を描いて、フォードと併読したい佳品である。ところで、それぞれに活躍するこの4作家がすべて同一人物の変名、という奇妙な事実は、いかにも『熱帯』的ではないだろうか?

 キム・ニューマン『モリアーティ秘録』(創元推理文庫、上・下)は、シャーロック・ホームズの好敵手として知られる犯罪王モリアーティ教授のダンディな活躍ぶりを、副官モラン大佐の目を通して描いたパスティーシュ。
 7つのエピソードは「赤い惑星連盟」「ダーバヴィル家の犬」「最後の冒険の事件」など、おなじみホームズ譚をパロディ化したものだ。さらにH・G・ウエルズ『宇宙戦争』やトマス・ハーディ『テス』など、コナン・ドイル以外の名作文学も巧みに本歌取りされ、様々なフィクションのキャラクターまでが大挙して登場する。さすがは「ドラキュラ紀元」シリーズで、古今東西の吸血鬼を総出演させたキム・ニューマン、物語に淫している、と評するのがふさわしい異形のエンターテインメントだ。物語が次の物語を孕み、それがまた新しい物語を生む。そんな終わらないリレーを目の当たりにできるだろう。