「冗談だった」は「黙れ」と同じ 詩人・文月悠光さん
――16歳で「現代詩手帖(てちょう)賞」を受賞しました。
「女子高生」「若い女性」の面を強調して取り上げられる経験をし、戸惑いを覚えた。傷ついたとも言えず、周囲から「注目されるポイントの一つだから得じゃない」と言われ、自分にもそう言い聞かせた時期があった。
――エッセー集『洗礼ダイアリー』ではセクハラを受けた経験や「かわいい」に感じた抑圧など、女性の生きづらさを吐露しました。
違和感をつづる中で自然に出た言葉で、意見表明をしようとしたつもりはない。若い人のみならず親の世代からも反響があった。同じようなつらさを抱える人たちと響き合ったのかなと思う。
――経血を赤い金魚になぞらえた詩「金魚」など、言葉によって女性という存在を捉えようとしてきました。
サイン会に20歳くらいの女性が来て、涙ぐんだことがあった。「金魚」を15歳の時に読み、「初めて自分が女性であることを肯定できた」と言って。言葉が受け手を楽にしたり肯定したり、発見に導いてくれる。言葉の影響力の強さを実感した。
――メディアが伝える言葉が女性を傷つける出来事が後を絶ちません。
発する側は「冗談だった」「こんなことでピリピリするなんて」という空気を出してくる。それは傷ついた人たちに「黙れ」と言うのと同じ。詩作によって自分の内面を言語化し、違う立場の人にも思いを巡らせていきたい。多様性が重要な時代、映画や小説などから自分以外の価値観を吸収してほしい。それが他者の理解、尊重につながる。
何も考えず、人を無制限に否定 詩人・伊藤比呂美さん
――20代でデビューした当初から「性」や「女性の身体」を詩で描いてきました。
当時の詩壇は男性主導の雰囲気で、最初は「若い女性がセックスのことを赤裸々に言って面白い」という色物扱いだったのでは。でも、自分以外の誰かでも同じような作品を生んでいたはずだ。性や妊娠、出産といったテーマは人間が書かずにいられないことだから。
――ジェンダーをめぐる日本の現状をどう思いますか。
何も考えずに過ごしてきたように見える。能力や希望、生き方に関わらず、差別は「こんなもん」と人を無制限に否定する。「女性だから」もそう。
ある詩の賞の選考に関わった時は、下読みがすべて男性だった。たとえば「経血」という言葉が詩に出てきた時、反応できるのは女性。男女同数が望ましい。
――言葉を発信する上で何に気をつけるべきでしょうか。
言葉は、何か引っかかりがないと伝わらない。一番強いのが「悪意」「邪意」で、そこに面白さを見いだしてしまうこともある。両刃(もろは)の剣だ。私たちは言葉の恐ろしさを知り、誰かを否定することがないように、いつも想像力を働かせていかなければいけない。
――米国で20年以上生活し、日本社会との違いは感じましたか。
日本の女の子の多くは声が細くて高い。アニメを日本語と英語で見比べるとよく分かる。私も英語を使い始めたころは、知らずに声を高くしていた。自信がないから、自分を守ろうとしていたんでしょうね。やがて日本語と同じトーンになった。
いま大学で、ジェンダーに関する講義を持っている。若い人たちには「地声でハッキリ話せ」と言っている。それによって自分の意見がちゃんと言えて、すべてが始まる気がする。=朝日新聞2019年3月6日掲載
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