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人間の可能性、野蛮なほど肯定 「彼方のアストラ」「サザンと彗星の少女」

 かつてスタンダールは『赤と黒』で、「小説とは街路に沿って持ち歩かれる鏡だ」といいました。このとき、小説は、社会の動向を映す現代史研究だという使命を自覚したのです。
 同時に、小説は、政治や社会の理不尽に反抗して、個人が自由な意志で人生を開く可能性を表現していました。だからこそ、読者は主人公の行動に共感しつつ小説を読めたわけです。

 今、そうした小説の機能を最もよく果たしているメディアはマンガです。
 というのも、マンガの重要な読者は少年少女で、マンガはまだ人生をよく知らない彼らにむけて、野蛮なほど楽天的に人生の可能性を肯定してくれるからです。そんなマンガの蛮勇は、私のような年を重ねた読者の心にもじかに飛びこんできて、ときどき感涙を流させたりもするのです。

 最近読んだ2編の作品が、マンガの蛮勇で、私を深く感動させました。一つは、先月「マンガ大賞」を受賞した篠原健太の『彼方(かなた)のアストラ』です。「マンガ大賞」とは、書店員を中心としたマンガをよく知る100人ほどの選考員が投票で選ぶ賞です。
 『彼方のアストラ』は、『十五少年漂流記』を範とする典型的な冒険ドラマです。9人の少年少女が宇宙の孤立した惑星でキャンプを行おうとするのですが、宇宙の果てに飛ばされてしまい、そこから自力でサバイバルし、地球への帰還をめざそうとします。
 いわゆる「友情・努力・勝利」の路線に連なるお話ではあります。しかし、ストーリーが練りに練られてびっくり仰天のドンデン返しや謎解きの連続、さらには少年少女のビルドゥングスロマン(成長物語)にもなっています。本当に面白く、巧(うま)くできたマンガです。

 もう1編は、やはり「マンガ大賞」にノミネートされた赤瀬由里子の『サザンと彗星(すいせい)の少女』です。
 こちらは、宇宙のエネルギー源を狙って多数の登場人物が激しいバトルをくり返す活劇です。タツノコプロのアニメや永井豪の絵柄をちょっと連想させますが、ひとコマひとコマを水彩で細かく彩色するという途方もない描き方で、その情熱に圧倒されます。
 この2編に共通するのは、無垢(むく)な人間の可能性への無条件の信頼です。これがマンガの良さだよなあ、と私は感嘆のため息をつきました。
 しかも、前者はクローン、後者は人工知能を題材に用いて、人間の条件とは何かを真剣に問うているのです。ネタバレになってしまうので詳しく説明はできませんが、カズオ・イシグロにも負けませんよ。=朝日新聞2019年4月10日掲載